主義日本が与り知ったことではないのだが、併し、あまり、日本がヤイヤイ横から口を出して、喚いたので、ソヴィエトは遂に感違いをして、日本に向って喰ってかかって来たのである。即ち満州帝国が北鉄従業員を「赤」の嫌疑(!)で検挙し、之が思う壺に[#「思う壺に」は底本では「思う壼に」]嵌って、匪賊をして列車顛覆掠奪等をさせる組織を造っているのが判ったと日本が云ったに対して、否実は誰もそんなことは云った覚えはないと思うが、ソヴィエトは、何と思ったか満州帝国ではなく日本帝国に向って抗議をして来た。日本側のこうしたデマは全く最近の日本の×××意図を物語るものだとユレニエフ大使はいうのである。まるで××××××××××ってでもいると云ったような口吻である。
 広田外相がそこで之を反駁して云うには、第一満州がやったことの尻を日本に持って来るのは見当違いだし、それに匪賊によって顛覆された列車は軍用貨物列車に限られていたり、日満人がやられるのにソヴィエト人は被害を被らないなどの点によって見ると、之は明らかにソヴィエトの或る種の司令に基いているに相違ないではないか、と。――無論こうなれば水掛け論で、満州の背後に、日本がいるのは別として、もし匪賊の背後に(?)ソヴィエトがいるとすると、匪賊の活動と匪賊の討伐なども、もはや決して満州の問題には止まらない意味を持ってくるわけだ。そして×××××××××であることを希っているようだ。(ソヴィエトの方はあまりに×××いないと見えて之を否定しているわけである。)そうすると之は瓦房店の署長討伐どころではない大問題だ。
 とそう思って幾日も経たないのに、又々北鉄本線ハルピン新京間で旅客列車が匪賊の手によって顛覆され、多数の死傷者を出し、邦人数名が人質として拉致されたという事件である。ソヴィエトの魔手もこう帝都のすぐ近くにまで逼って来たのでは、満州楽土の治安も累卵の危きにあると云わざるを得まい。
 だが、よく考えると、顛覆したのは軍用列車でもなければ貨物列車でもなかったから、例の広田外相の論拠によると、恐らく之は例のソヴィエトの魔手という奴ではないかも知れない。でそうなら吾々はこの点却って、この事件のおかげでホットすることが出来るわけだ。まして拉致された日本人が無事に帰って来たと聞いて、満州の多難にあまり神経を嵩ぶらすに及ばないではないかと、考えが多少は楽観的にもなるのである。
 処が列車顛覆事件のあった翌々日が九月一日である。この日は関東震災から丁度十一年目の日で、地震や火災の焼死は云うまでもないが、それ以外の×××××××××××××××××××××××××××××、凡そ忘れることの出来ない記念の日なのである。処で去年以来この多難の日が防空演習日に当てられることになったらしいが、之は非常に気の利いた比喩だと私は思っている。関東震災と帝都空襲とは甚だ直接な連想を有っているので、単に空襲が家屋の倒壊や焼失を惹き起こす点で震災を思い起こさせるばかりではなく、その他の×××××××××××させる点でも震災とそっくりだからだ。
 今年のは念が入っていて、可なり強い風雨にも拘らず、東京川崎横浜の三都市は完全な燈火管制を実施し、高射砲の空砲の音までがラヂオで放送されたのであるが、そしてその合間合間に極めて雄壮な軍人や有志の講演が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]まれていて私などは戦争というものが実に××××××仕事のように思えて来てならなかったのだが、それはいいとして、防空演習の想定なるものを聞いていると、問題は北鉄に出没する匪賊のことどころではなく、正に自分の頭上にあることが気になり出して来るのであって、又々不安に襲われ始めるのである。赤い魔手は新京の近くどころではない、東京の頭上に臨んでいると、ラヂオは悲壮な声で叫んでいるのである。
 私は併し、防空演習のラヂオ放送を聞きながら、一種特別な心配に支配されざるを得なかった。と云うのは、又例の××××××がこのラヂオ放送などを耳にして、日本の軍部はこんなことを云ったあんなことを云ったと云って、愚にもつかぬことを×××××××しないかということだ。何も云わなくても云ったという男だから、ラヂオで聞いたことなら見逃す筈はあるまい。尤も仮に捻じ込んで来ても北鉄従業員検挙事件のように逆ねじを喰せることが出来れば心配はないが、こっちの方がそう行かないとなると困りはしないだろうか、というのが心配になり始めたのである。――吾々はこうやって、夫から夫へと不安に駆られながら、段々興奮して行くのではないか、という不安がある。
[#地から1字上げ](一九三四・一〇)
[#改段]


 パンフレット事件及び風害対策

   一、パンフレットの恩恵

 有名な一九三五・六年の「危機」に直接関係のあるロンドン海軍軍縮予備会談が開かれようとしている。軍備平等権の確立と差等比率主義の撤廃というスローガンを掲げた山本代表が、国民の景気のいい歓呼の声に送られながら出発した。之より先、陸軍は第二次国防充備の五カ年計画のために、明年度以降五カ年総額六億の要求を大蔵省に提出している。ソヴィエト・ロシアに対抗するためには是非之だけは必要で、今日のロシアは日露戦争時代のロシアとは打って変って強くなっているからというのである。尤もこの要求は、この間の思わぬ関西風水害のおかげで政府の総予算の圧縮が必要となったため、明後年度からに延期されることになったが。
 風水害が軍縮会議にどう影響するかは、今の処一寸材料がなくて判らないが、とに角軍部にとってこの風水害は色々の間接直接の影響を与えている。云うまでもなく夫は当然なことだ。この風水害は単に関西地方の軍需工業生産能力の数パーセントを一時的に失わせたばかりでなく、旱魃、冷害、水害による凶作に、更にもう一つの決定的な拍車をかけた。それが軍部と何の関係があるかと云うかも知れないが、この凶作を見越した米価の極度の騰貴は、持米を売り払ったり食いつくして了ったりしている全国の貧農民(ブルジョアジーは之を農村[#「農村」に傍点]というロマンティックな名で呼んでいるが)にとっては、さし当りの連帯的な損害にしかならないわけで、それに繭のレコード的な安値までが手伝って、この頃農民をクシャクシャさせているのだが。壮丁や在郷軍人までがクシャクシャし出しては国防上の大問題ではないか。
 それだけではない、この風水害は、容易に神輿を挙げそうになかった岡田内閣に、遂々臨時議会を開くことを余儀なくさせた。政党も之でどうやら活気づくだろうが、それだけ軍部も一働きしなければならぬ秋が意外に早く来たわけだ。
 こういう条件が与えられているのを眼の前にして、陸軍は陸軍新聞班の名を以て、十月一日付のパンフレット『国防の本義と其強化の提唱』を発表した。世間がこの種のことをウスウス予期しないではなかっただけに、却って鋭いショックを受けたのは尤もだろう。このパンフレットは十六万も印刷したというが(こんなに多数印刷されるパンフレットは民間ならば珍らしいことだ)、私はまだ実物を見ていないのが残念だ。だがその要点に就いては新聞が相当詳しく報道しているから、夫を信用していいだろう。
 第一に、国内問題は国防の見地に立つと[#「国防の見地に立つと」に傍点]、農山漁村の更生の問題として現われる。現時の農山漁村の窮迫は、農村物価の不当並びに不安定・生産品配給の不備・農業経営法の欠陥と過剰労力利用の不適切・小作問題・公租公課等農村負担の過重と負債の増加・肥料の不廉・農村金融の不備(資本の都市集中)・繭絹糸価格の暴落・旱水風雪虫害等自然的災害・農村における誤れる卑農思想と中堅人物の欠亡・限度ある耕地と人口過剰等に起因しているというのである。原因も結果も物質的地盤もイデオロギーも、国防の見地に立てば一列横隊に並ぶらしく、例えば農山漁村の窮迫は、農山漁村生活の不振に起因する、と云ったような項目を要因として挙げておけば、もっとこの横隊が完全になるかと思うが、夫はまあどうでもいいとして、かいつまんで云うと、これ等の原因の大半が都市と農村[#「農村」に傍点]との対立に帰納せられるというのである。つまり農村の窮迫は都市の責任だというのである。読者は陸軍の全知能を傾けて帰納した結論として、この断案を尊重することが国防上必要だということを忘れてはならぬ。
 だが都市と云ったって労働者街もあれば貧民窟もある。大邸宅もあれば大官衙もある。それは同じく農村と云ったって大地主もいれば農奴に等しい小作もいるのと変らない。もし万一労働者やルンペンが大地主の責任だというようなことがあったとしたら、農村は逆に都市に対して責任を取らなければならなくなるだろう。処が実際都市の人口の多数を占める労働者やルンペンやその候補者達は、云わば大地主が手ずから都会へ送ってよこしたような連中に他ならないのである。そうするとどうも、都市と農村との対立ということ程ナンセンスなロマンスはないだろう。農村が都市を相手取って、小作問題を起す心配もないし、農村金融の不備が資本の都市集中だというのも変で、農村金融の不備は寧ろ農村高利貸の善意の不備(?)などにあるのではないか。資本が都市に集中するのを羨しがるのは[#「羨しがるのは」は底本では「※[#「義」の「我」に代えて「次」、185−下−4]しがるのは」]農村に於ける資本家(?)のやることで、軍部ともあろうものが夫に相槌を打つべき筋合いではない筈だ。で、軍部は世間の「誤解」を招かないように農村[#「農村」に傍点]というような曖昧な言葉を避けなければいけない。
 だが幸いにして、世間では軍部のこの第一の断案に対しては別に「誤解」もしなければ反対でもないらしい。寧ろ大いに賛成なのだ。世間も亦この農村[#「農村」に傍点]という言葉のマジックが気に入っている、そこへ農村の神様である軍部自身が夫を裏書をして呉れたのだから気丈夫この上もないというわけである。
 国防上の第二の問題は、思想問題[#「思想問題」に傍点]である。ここでは悪玉は、「極端なる国際主義」と「利己主義」と「個人主義」とであり、又「泰西文明の無批判的吸収」と「知育偏重」とである。之に対立させられる善玉としては、「国家観念と道義観念」や「質実剛健」「実務的実際的教育」などが挙げられる。併し思想問題は一時的な国防上から考察される場合も、永遠な人間教育の立場に立つ文部省の立場から考察される場合も、少しも内容が変らないものと見える。まことに予定調和と云わねばならぬ[#「云わねばならぬ」は底本では「云わねなばらぬ」]。無論世間がこうした予定調和を見て大満足の意を表せずにはいられないのは無理からぬことだ。
 国防上の第三の問題は、武力[#「武力」に傍点]である。之は軍部に一任すべき性質のもので批評の限りではないが、世間がこの点で完全に軍部を信用しているという事実は、日本朝野の例の軍縮気※[#「火+稻のつくり」、第4水準2−79−88]からも推察出来る。
 だが実業家や政治家を驚かせ且つ怒らせたものは第四の国防上の問題である経済政策論[#「経済政策論」に傍点]なのだ。軍部の見解によると、現在の日本の経済組織の欠点は、(一)経済活動が個人の利益と恣意とに放任されて「国家国民全体」の利益と一致しないこと、(二)自由競争激化の結果、排他的思想を醸成し階級対立観念を醸成すること(※[#感嘆符二つ、1−8−75])、(三)富の偏在、(四)国家的統制力の弱小、などであるという。
 之に臨む経済対策は、国防上[#「国防上」に傍点]、次のようなものになる。即ち(一)道義的経済観念[#「道義的経済観念」に傍点]に立脚して国家国民全体の慶福を増進すること、(二)国民全部に勤労に応ずる所得を得させること、(三)金融と産業の制変運営を改善して資源開発・産業振興・貿易促進、それから国防の充実、(四)国家の要求に反せぬ限り個人の創業[#「個人の創業」に傍点]と「企業欲」を満足させてそれで勤労心[#
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