な云い直しに他ならぬ。認識は一切の実践的理論的手続を介して成立するのであるが、併し認識と認識される客観的事物との直接関係は、全くの直接関係であって、その間に何等の媒介物を有たない。それがありのままに写すという言葉の意味である。之が丁度現物がエーテルという虚空のみを介して鏡に像を結ぶ関係に喩《たと》えられて、認識するということを写すというのである。従って所謂模写説に対する非難は本末が顛倒しているのである。
 さてこういう風に弁護された限りの所謂素朴実在論とは、要するに唯物論の認識論のことに他ならない。事実唯物論はそれが素朴実在論であるということによって非難されて来た。処がその素朴実在論とは、観念論者が唯物論の実際の主張とは無関係に仮想敵として造り上げた勝手な改釈によるものでしかなかった。常識や自然科学者が信頼すると云われる所謂素朴実在論とは、正確には唯物論のことに他ならない。この唯物論の哲学的権利については今日一般に知られている。
 だが素朴実在論とは区別しながら、自分の体系をなお実在論と呼ぶことを欲している哲学者は可なり多い。「新実在論」や「観念的実在論」(Ideal−Realismu
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