れる。
 併し実際に観念論からするこの二群の非難に相応する実在論は、恐らく哲学体系として未だかつて無いのであって、之は観念論によって非難されるべき模型として、観念論者自身によって考案されたものに過ぎない。素朴な常識や自然科学者の観念と雖も右のような注文の通りには出来ていない。客観的事物をその儘模写するということは、その全体を一遍に写すことが出来るということとは無関係であるし、また夫を逆にして、意識された通りが実在そのものの姿であるという主張とも関係がない。実在そのもの、物自体、を順次に科学的な手続を経て歴史的に模写して行く過程を考えれば、この第一群の非難は無意味となる。―次に実在を客観と考えることには実在論固有の理由があるので、主観的恣意から独立な処に哲学の根拠を求めようとする必要から来る当然の帰結でなければならぬ。各種の実在の内でも特に客観的存在が就中実在としての資格を有っているという主張であって、もしこの主張に根拠がないとすれば、同様に観念論の存在観にも根拠がないということになる。それから認識は模写だという模写説は実は認識そのものの一つの説明というよりも、認識ということの同語反覆的
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