機械論的唯物論に対するものは弁証法的唯物論(又は唯物論的弁証法)である。マルクス主義の哲学が取りも直さず之である。機械論的唯物論は、物質をその運動に於て、その発展形態に於て、その歴史に於て、把握しなかった、物質とはここでは固定した形而上学的存在に過ぎなかった。弁証法的唯物論は之に反して、物質をその歴史的発展過程に於て理解する(だから之は又歴史的唯物論とも名づけられる)。物質はその運動・変化に於て、一定の量的変化に際して質的変化を引きおこす。物質の発展は質的飛躍を有つ。併し一つの質から之に対立する他の質への飛躍は、物質なるものが同一でありながら[#「ありながら」は底本では「ありがら」]なお且つ起きると考えられねばならない。物質は自分自身に止まりながら、自分でない対立物に転化する。そこには同一物の対立と、又対立物の同一とがある。存在のこの関係を一般に弁証法と呼ぶ。だから物質はこの際弁証法的なものとして把握される。この唯物論が弁証法的唯物論である所以が茲にある。
 併しこの場合、物質とは何か。それは、十七世紀乃至十九世紀の唯物論に於てとは異って、単なる物理学的物質ではあり得なかった。物理学的
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