に含まれる燐に依るものだと説明した。この生理学的乃至化学的唯物論は併し結局力学的唯物論に帰着する外はない。何故なら生理学も化学も力学の特殊の場合に過ぎないだろうから。ビュヒナー(〔L. Bu:chner〕)はそれ故、その唯物論をエネルギー不滅則に基けた。
十七世紀から十九世紀にかけてのこの唯物論は、物質の力学的・機械的作用を集積することによって、生命乃至精神が成立すると考える。その限り悉く之は機械論的唯物論の範疇を出ない。その際物質と考えられたものは、そして悉く物理学的範疇としての物質の範囲を出ない。物質はどのように運動しても、それ自身の質を依然として変えない所の、その意味では動かない、死んだ存在でしかない。これは精神との間に永遠の溝を有たざるを得ないのである。
フォイエルバハ(L. Feuerbach)は併し、この種の唯物論者からは非常に距っている。彼にとっては、存在とは物理学的な物質ではなくて、より哲学的な概念としての自然であった(人々は唯物論が自然主義に結び付く場合の典型をこのフォイエルバハに於て見るべきである)。自然が最も具体的な内容ある存在だというのである。自然は本来の存
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