識論としての唯物論は―観念論に対する―実在論である。さてこのような現実主義的世界観及び実在論的認識論は、存在論としての唯物論の等価物でなければならない。
 唯物論的存在論は一般に、物質を以て精神を説明する原理と考える。或いは同じことに帰着するが、物質が即ち狭義の存在だと考える。種々なる唯物論の相違は、この物質の概念の如何によって、又物質を以て如何に精神をも説明するかによって、与えられる。
 古代ギリシアの哲学――人々は夫を古代ギリシアの自然哲学と呼んでいるが――は唯物論として始まった。タレス(〔Thale^s〕)に於ては存在の原理は水であった(尤もこの水は今は吾々の持つ水の概念ではないが)。それは何と云っても何かの意味の物質に外ならない。水は存在の原理であると共に、否あるが故に、又存在の生成の原理でもなければならぬ。存在の運動を与えるものも亦この水である。この物質は運動の動力を自らの中に持っている。人々はこの唯物論を物活論(Hylozoismus)と名づける。物活論的唯物論はギリシアに於ける代表的な唯物論者デモクリトス(〔De^mokritos〕)の単位物質―アトム―の思想となって現わ
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