ト斥ける。現実から出発する点に於て現実主義とも云うことが出来よう。この現実主義が不当に極端化されると併し、夫は現実との妥協主義又は物質生活の無条件的尊重主義ともなることが出来る。俗には往々唯物論という言葉をこの最後の意味に用いる。併し之は真正の唯物論とは殆んど何の関係もない。却って唯物論的世界観は、思想が希望に燃えている時や(ギリシアの自然哲学)、新しい理想に駆られる時(フランス啓蒙期の唯物論)にこそ、発生したのが事実である。認識論としては、唯物論は多く経験論(Empirismus)に結合したり(ホッブズ Th. Hobbes の場合)、感覚論(Sensualismus)に結合したりする(エルヴェシウス 〔C. A. Helve'tius〕 の場合)。(無論経験論や感覚論自身は唯物論ではない。ロック J. Locke の経験論はバークレー G. Berkeley の唯心論を結果したし、コンディヤック E. B. Condillac の感覚論はメヌ・ド・ビラン Maine de Biran の唯心論を結果した。)唯物論が之等のものに結合出来るのは、之等のものが実在論に帰着する場合に限る。認
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