スめに計り知れぬ功績を立てた。彼は再びレーニンと共に一方に於ては党内の経験批判論者に対して、他方に於いては党清算主義者に対して、奮闘を続けた(レーニンの『唯物論と経験批判論』は一九〇九年に出ている、そしてプレハーノフの『マルクス主義の根本問題』は一九〇八年に出た)。特に当時依然として、メンシェヴィキの権威であった彼が、メンシェヴィキとして止りながら、メンシェヴィキの党清算主義者に対して破壊的な演説を敢行したことは、レーニン等ボルシェヴィキにとっては百万の味方に値したことである。ボリシェヴィズムへの彼の接近は一九一二年まで続いたと見ることが出来る。
然るに欧州大戦に臨んではプレハーノフは極端なる社会愛国主義的立場を取り、一九一七年の三月革命を経てもその立場を棄てなかった。彼は死に到るまでソヴィエト権力を承認しなかったのではあるが、十月革命(一九一七年)の成就した後はボリシェヴィキ及びソヴィエト政府に対して公然の敵として現われることを躊躇した。一九〇五年(党ボリシェヴィキ第三回大会・メンシェヴィキ第一回大会の年)以来、『ロシア社会思想史』の著述に取り掛り、一九一四年第一巻を出版したが、こ
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