形而上学的体系に代るべき哲学は、寧ろ形而上学の基礎たる諸世界観の類型の検討を試みる世界観説の如きものであるべきであろう。夫は云わば哲学である。
 以上の諸関係は実はそのまま同時に精神科学の基礎であり、その方法を決定するものである。カントが自然科学に就いて行った処をディルタイはその所謂精神科学に就いて行った(精神科学とはリッケルト等の文化科学に対応するがその概念規定を異にする)。彼の歴史学的乃至哲学的労作はかかる精神科学の基礎づけに集中されている。その意味でディルタイの哲学は、何よりも歴史哲学としての性格を担っていると云うことが出来る。ディルタイの生と呼ぶものは云わば全人間的な夫である、人間はそこに於て表象し感情し意志する全人として生きている。人間は自己の環境との間に、かかる全人的交渉をなすことによって作用連関を有ち、彼は之を通じて歴史的・社会的連関に密に入り込んでいるのである。この諸作用のどの一部分を取って見ても全体(総体)への関係を含まないものはない、その意味で部分は常に全体に対して合目的的な意味を有っている。だから精神科学の対象たるこの歴史的・社会的生は、分脚を具した全体として、全
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