機械論的唯物論に対するものは弁証法的唯物論(又は唯物論的弁証法)である。マルクス主義の哲学が取りも直さず之である。機械論的唯物論は、物質をその運動に於て、その発展形態に於て、その歴史に於て、把握しなかった、物質とはここでは固定した形而上学的存在に過ぎなかった。弁証法的唯物論は之に反して、物質をその歴史的発展過程に於て理解する(だから之は又歴史的唯物論とも名づけられる)。物質はその運動・変化に於て、一定の量的変化に際して質的変化を引きおこす。物質の発展は質的飛躍を有つ。併し一つの質から之に対立する他の質への飛躍は、物質なるものが同一でありながら[#「ありながら」は底本では「ありがら」]なお且つ起きると考えられねばならない。物質は自分自身に止まりながら、自分でない対立物に転化する。そこには同一物の対立と、又対立物の同一とがある。存在のこの関係を一般に弁証法と呼ぶ。だから物質はこの際弁証法的なものとして把握される。この唯物論が弁証法的唯物論である所以が茲にある。
 併しこの場合、物質とは何か。それは、十七世紀乃至十九世紀の唯物論に於てとは異って、単なる物理学的物質ではあり得なかった。物理学的物質をその特殊な現象形態とするような、一つの哲学的範疇として吾々は之を把握せねばならない。処で物自体の概念は比較的之を能く捉えている。夫は主観から独立な、主観からの関与に関係する事なくしても独自の運動法則を持つ所の、客体を意味する。尤も物自体をカント風の形而上学的概念と考えてはならない。形而上学的物自体は結局カントが指摘したように、不可知論的な存在であり、吾々は夫に就いて何ごとをも語る事が出来ないだろう。実際は主観が認識を―感性を介して―開拓して行くことによって凡ゆる側面から之の認識に迫ることが出来ねばならぬのである。この物質は事物の外廓的な又は天降り式な形式ではなくて、内容の圧力によって自己の形態を形成して行く質料であり、事物の具体性の最後の拠り処である。夫は物理学的認識に於て物理学的物質の概念を与えるばかりではなく、人間の歴史的社会に於ては、物質的生産力の範疇を与える。之が社会のさし当り最も手近かな物質的根柢となるのである。――だが、物質に対する主観の関係は、物質の単なる認識に止まることが出来ない、それの単なる認識であってもすでに実践的性格を有たねばならぬ。実験が夫である。物質は元来、主観にとって実践の対象である、主観を実践的たらしめるためにはこの物質が最後の逢着物としてそこになければならないのである。吾々は実践の尤なるものとして、産業や政治を数えることが出来る。
 では物質は物質以外の存在、意識(観念・精神)にどう関係するか。精神物理学的乃至心理学的な概念としての個人の意識は、物理学的物質の極めて高次の質的飛躍として之を理解する外はない。無論併しそれは、従来の唯物論に於てのように、物質の機械的作用として、又は物質からの機械的延長として、説明されることは出来ない。弁証法的唯物論に於ける物質と意識との関係は併し所謂イデオロギー理論に於て最もその特徴を明らかにする。イデオロギーの理論によれば、意識が存在を決定するのではなくて、人間の社会的存在が意識を決定するのである。意識は、物質的生産力から結果する物質的生産関係を基礎構造として、その形態が決定される。意識はそのような上部構造―イデオロギー―だと云うのである。物質生活から精神生活迄の一切の人間の生活を包括する歴史は、終局に於て、物質的なるもの――それが物質的生産力乃至生産関係という普通経済的と呼ばれるものである――を原因として説明される。唯物論はこの場合、唯物史観として登場する。唯物史観は広汎な弁証法的唯物論の特殊な部分的な場合に外ならない。だからこそ夫が所謂経済史観などとしては性格づけられないのである。
 弁証法的唯物論の根本的主張はマルクスによって残る所なく把握された。エンゲルスは之を補足して広汎な適用にまで齎らし、レーニンは之を、マルクス自身に劣らぬ天才を以て追跡した。レーニンの理論を準備したものとしてプレハーノフ(G. V. Plekhanov)が与えた唯物論の円熟[#「円熟」は底本では「円熱」]した解明と適用とを忘れてはならぬ。今日共産主義者乃至ボリシェヴィキによって展開されつつある弁証法的唯物論は、かくして成長して来たのである。最後に大切なことは、この唯物論が唯心論乃至観念論(ヘーゲルが之を代表した)の、必然的・正統的な徹底と発展とであったということである。
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参考文献――Lange, A., Geschichte des Materialismus, 2. Bd., 5. Aufl., 1896, 7. Aufl., 1902; Feuerbach, L., G
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