{的な問題である物質、特に又物質構造・原子構造の理論に就いて考えれば、この点最も明らかだろう。ただ物理学の方が物質の一般的なそして本質的な関係から問題を出発させるのをその歴史的な伝統とするに反して、化学の便宜上の目標は物質の夫々特殊な場合のそして現象上の関係を、さし当りのテーマとして取り上げる、という区別は認めることが出来る。だがこの事実は二つの科学がその本質を同じくするということの証明にこそなれ、二つのものの根本的な差異を意味するものではない。
だがこの点に連関して、物理学乃至化学と数学との関係を明らかにしておく必要がある。物理学の対象は物質の一般的の本質関係に関し、之に対して化学の対象は今の処何と云ってもさし当り物質の夫々特殊な現象関係に関すると云ったが、少くともこの区別は、物理学が化学に較べて数学の応用に於て卓越しているという事情となって現われている。一体物理的と云えば数学的ということに対立するのであり、単なる数量的空間的なものではなくて正に物質的な性質を云い表わすのであるが、それにも拘らず物理学の根柢或いは頂点に力学なるものが控えている。力学(Dynamics, Mechanik)は元来物質の持つ力関係乃至運動関係を最も一般的に対象とするものであるが(運動論の方は特に Phoronomie とか Kinematik とか呼ばれる)、併しその実この力関係乃至運動関係を物質の其他の物理的性質から抽象して了っているので、一見非物理的な従って可なりに純数学的な部門となって現われる。数学はこの力学を通じて最も原則的に組織的に物理学に適用される。之は化学プロパーに於ては必ずしも常にそうだとは云えないことだ、尤も理論化学=物理化学なる化学の特別な部門は別として。
或る哲学学派はそこで、物理学が化学などに較べて何等かアプリオリな立場を含むものだと主張する。数学は理性や悟性からアプリオリに由来すると考えて、従ってこの数学が数量的に又空間的に適用される処の力学を根柢とする物理学は、それだけ先天的=先験的なものだと云うのである。だが力学が数学の殆んど完全な支配下に立つのは、数学が理性や悟性からアプリオリに由来するからではなくて、実は単に力学が物質の抽象的で又最も一般的である諸属性(数・空間・時間・運動)を専ら対象とするからなのである。そしてこういう物質のより一般的な又より抽象的な関係を取り上げることが、他ならぬ数学なるものの所謂先天性だったのである。(但しこの点多くの異論を期待しなくてはならぬが。)だからつまり物理学乃至力学が数学の適用を受けねばならぬということは、物理学が物質の最も一般的で又最も抽象的な関係から問題を提起して、之を次第により特殊なより具体的な物質の属性に及ぼすものだということであり、それを末端の方から見れば化学となるというわけである。
だが云うまでもなく一般的、抽象的な物質の属性から問題を発足させることは、その発足をいつもやり直さなければならぬということを約束する。より特殊なより具体的な物質の属性にわけ入って行った結果、もう一遍物質の一般的、抽象的な属性を抽象し直さねばならぬということが必ず出て来る。この現象は物理学の革命とか危機とかとして云い表わされる。相対性理論による空間・時間の観念の変革や、量子理論による因果律の観念の変革やが之である。
物理学乃至力学が最も精密な自然科学だというのは以上の消息を指すのであるが、化学となればもはやこの精密性は信用されていない。というのは他ではないので、化学は物質の諸関係を従来単に現象的にしか定式化し得なかったからである。処が生命現象、有機体を対象とする生物学になれば、愈々その精密性を失うものだと見られている。生命現象は極めて高度な複雑な物質の特殊な属性だから、その連関の研究はなおまだ現象的な観点に止まらざるを得ないのはやむを得ない。だが困難の原因はそれだけではないので、ここに新しく登場する個体という範疇があるからである。
物理学乃至化学のプロパーな場合には、個体という観念は何等科学的な範疇ではない。物理現象や化学現象は一つ一つの個体に単位をおく現象ではなかったからだ。物理学や化学が個体という範疇を必要とする場合は天文学や地理学となる。そこでは個々の名をつけられた物体が(もはや単なる物質や物質塊ではない)、太陽や火星や地球が、問題となる。(思うにかかる物理的、無機的、個体を個体なりに最も抽象的に一般的にテーマとするのはトポロギーなる幾何学だろう。)処が生物学になるとこの個体がその個体らしい特色を前提として登場して来る。生命現象とは之である。ここに生物学がすぐ様には精密になり得ず、又有機体が無機的自然と区別される標識も発見されるのである。
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