Sozialwiss. u. Sozialpol., 1927)。新明正道編『イデオロギーの系譜学』第一部(昭和八年)。戸坂潤『イデオロギー概論』(昭和七年)。【本全集第二巻所収】
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[#中見出し]仮説 【英】hypothesis; supposition; assumption【独】Hypothese; Voraussetzung【仏】〔hypothe`se〕; assomption[#中見出し終わり]
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 【一般的意義】  この言葉の古典的な意味は、「下に置く」であり、根柢に置くとか根柢を置くとかいう意味である。根拠・理由を与えるものの謂であり、推理・理論・学を成立させる原則を一般に指す。併し特に実証科学乃至自然科学に於ける仮説は、既成の諸経験的事実を統一的に、必要にして充分な形で、説明し得るように案出された或る仮定を云う。これはまだ実験的に検証され実証されない仮定であるから、臆説とも呼ばれる。かかる仮説は科学の前進によって、実験的に検証されて行くべきものであり、その検証が成功すればこれはもはや仮説ではなくて一つの事実の資格を得るが、この検証によってこの仮説に反する結果を得るならば、云うまでもなくこの仮説は捨て去られねばならない。そして更により合理的な新しい仮説を必要とするに到る。仮説はかくの如くして、科学的研究の途上に於て仮に設けられる仮定の意味を失うものではない。
 併し云うまでもなく科学に於ける仮説は決して主観的な任意的な又は便宜的なものではない。何故ならばこれは常にやがて実験的に検証されることを必要としているのであって、これが実験的検証の必要は、科学の対象界に於ける実在的関係を何等かの形で言い表わしたものであるからである。科学は探究する世界自身の客観的関係の一表現である限り、仮説は単に主観的なものではあり得ない。のみならずこれは与えられた既成の知識を根柢的に組織立てる筈のものであるから、無論決して任意的なものではなくて、何人もその段階に於ては認めねばならぬ筈の客観性を有っている。そして又、それが単に研究の便宜のために一時的に採用されたという意味にすぎないことも当然であろう。仮説は常に実験的にそれが真理であることを実証されることを要求している。即ちこれはまだ
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