はならぬ。無政府主義の背後に之を超えて、社会の共産主義的秩序を欲する者こそ真正のラディカリストである、この場合自分が無政府主義者であるか社会主義者であるか又共産主義者であるかは、単に言葉の綾に過ぎない。そう彼は云っている。
政治的活動家としてのディーツゲンはアメリカの社会党のためには忘れることの出来ない恩人であるが、学徒としての彼が弁証法を高調した点で哲学の領域に於ける功績が大であったことは前述の通りである。併しそればかりではなく、彼は経済学の領域に於ても之に劣らぬ学的功労を有っている。彼の烱眼は夙《つと》に近代資本主義的生産方法の帰趨を洞察していたのであり、アメリカを目してブルジョア社会の「未来の土地」であるとなし、之が何時かは全ヨーロッパの脅威となるだろうと云っている。「全ヨーロッパはアメリカ人の遊山地となり、アメリカに向ってヨーロッパから労働者が送られ、之に反してヨーロッパに向ってはアメリカの大ブルジョアが押し寄せるだろう」と。云う迄もなく今日此予言は、可なりの程度に迄応えられつつあるのである。全集は息子のオイゲン・ディーツゲンによって編纂された Josef Dietzgens Gesammelte Schriften, 1922, 三巻である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
[#中見出し]ディルタイ ウィルヘルム Wilhelm Dilthey(一八三三―一九一一)[#中見出し終わり]
[#ここで字下げ終わり]
ドイツの哲学者にして歴史家。歴史哲学、精神科学論及び文化史等の卓越した研究によって、直接間接に諸方面に有力な影響を与えている。主にシュライエルマッハー(F. E. D. Schleiermacher)の思想を継承する。ヘッセンのビープリッヒに生れ、ゲッティンゲンではリッター(H. Ritter)、ロッツェ(H. Lotze)等に学んだ。ベルリンではランケ(I. Ranke)、トレンデレンブルク(F. A. Trendelenburg)等に就いて歴史・神学・哲学を研究した。シュライエルマッハーの研究に傾倒したのはこの時期である。一八六六年バーゼルの教授となり後キール、ブレスラウ諸大学を経て、一八八二年ロッツェの後を襲うてベルリン大学の教授となった。ツェラー(E. Zeller)、エルドマン(J. E. Erdmann)、ディール
前へ
次へ
全100ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング