得ているような次第であった。一八六九―八四年間のジークブルク居住中、経済と哲学とに関して多数の論文を書き、Volksstaat, 〔Vorwa:rts〕, Sozialdemokrat, Neue Gesellschaft, Neue Zeit, New York Volkszeitung 等の諸誌に之を発表し、又多数の冊子を出版した。その主なるものは「社会民主主義の宗教」、「市民社会」、「国民経済」、「ハインリヒ・フォン・ジーベに対する公開状」、「無信仰者の信仰に就いて」等である。之等によれば宗教は社会民主主義の精神に基いて改革されるべきであり、又倫理学も社会的な基礎に立って研究されねばならない。一八八〇―八三年に亘って、二連の書信の形を有つ『論理学書翰、特に民主主義的プロレタリア的論理学』(〔Briefe u:ber Logik〕, speziell demokratisch−proletarische Logik)を書いている。之の後半はプロレタリア的見地から、経済学を取り扱ったものである。
 一八八四年三度渡米、ニューヨークに於てアメリカ社会党の機関紙『社会主義者』の主筆となる、一八八六年シカゴに移るまで其位置に止まる。一八八六年シカゴで『社会主義者の認識論の領域への進撃』(〔Streifzu:ge eines Sozialisten in das Bereich der Erkenntnistheorie〕, 1887―石川準十郎訳、マルキシズム認識論)を書き、翌年絶筆たる『哲学の実果』を脱稿した。同年シカゴ無政府党事件によって『シカゴ労働者新聞』の編集者達が逮捕されるに及び、社会党は無政府党と絶縁しようと欲したが、ディーツゲンは却って自らその主筆となることを申し出てその位置に就いた(当時社会党のゾルゲと交わる)。彼は同誌に拠って社会主義者と無政府主義者とが必ずしも相容れないものではないと説き、ために一部の社会主義者の反対を買った。併し、元来彼の哲学によれば、「ただ適度の区別だけが二つのものの矛盾対立を解くことが出来る」、絶対的な本質的な区別は形而上学に陥るものであった。無政府主義を社会主義から絶対的に区別して、之を単に排撃するのは正しい政策ではない。なる程無政府主義を終局目的とするのは愚の至りであるが、併し之が社会主義の前段階として価値を有つことを忘れて
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