w力等の内容として倫理的に意味づけられた限りの解釈された実践にすぎないからである。フィヒテの実践が結局考えられた実践でしかないことは注意されるべきである。それに、晩年のフィヒテが純粋自我を絶対者として前弁証法的なものと看做し、弁証法を単に之の哲学体系に於ける叙述にすぎぬと考えたのを見れば、彼の弁証法は存在(フィヒテは初めこの概念を避けるために事行という言葉を造ったのであるが)の側にではなくて単に哲学的方法の側にのみ行われ得るものとさえなるだろう。そうすればフィヒテの弁証法が愈々主観的であったことを暴露して来る。
 併し浪漫派の思想にとって欠くことの出来ないものは自然の概念である。専ら主観を主題としたフィヒテの知識に対して客観(自然)を主題とするシェリングの自然哲学がその権利を要求したのは当然そうあるべきであった。分極を通じて自然の内容は順次にその勢位を高める、之がシェリングに於ける弁証法的なるものである。併し所謂自然哲学時代のこのシェリングはやがてそれが本来落ち付くべきであった場所に、同一哲学に、移り行かねばならなかった。差別が直接に何等の媒介なく取りも直さず同一であるという関係は、正に弁証法の正反対物に外ならぬ。弁証法に於ける同一は差別を通っての同一であって、差別を抜きにしての同一ではない筈である。弁証法は安易に考えられると往々同一哲学となる、然るに凡そ同一哲学は弁証法の正反対物なのである。ヘーゲル哲学を批評したと想像されるシェリング哲学の最高潮期(自由意志論時代)を支配するものは、弁証法一般に関する限り、矢張この同一哲学であったと云えるであろう。
 唯物弁証法に就いては、ただ次の事だけを語っておこう。之はマルクス及びエンゲルスによって、そして又ディーツゲン(J. Dietzgen)によっても明白にされた所の、一般に弁証法なるものの最高の帰結である。ヘーゲルの観念論的弁証法が真に弁証法的となれば取りも直さず之になるのである。さてこの場合弁証法は相互に連関した三つの部門を有つ。(一)[#「(一)」は縦中横]、弁証法的論理、(二)[#「(二)」は縦中横]、唯物史観、(三)[#「(三)」は縦中横]、自然弁証法。
 なお近来バルト(K. Barth)、ブルンナー(E. Brunner)等は、神学をば、人間の達し得ない実在たる神と人間との間の根本的な矛盾を取り扱うべきものと
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