我は絶対的実在としての神となる。世界の根柢には愛が横たわる、人間的自由の目的は絶対知としての浄福である。一八〇六年には『聖浄生活への指針又は宗教論』(Die Anweisung zum seligen Leben od. die Religionslehre)が出た。同年『現代の特色』(〔Grundzu:ge der gegenwa:rtigen Zeitalters〕)が出ている。吾々の存在の根拠たるこの神的愛に於て初めて吾々は団体の一員として活動することが出来る。自己は団体に於て初めて自己の目的を見出す、神的愛に基いた此真の団体は神の啓示である。で今、祖国という団体の内に現われる神的なるものを愛することが真の愛国心でなければならぬ。かくて「独逸国民に告ぐ」(Reden an die deutsche Nation)が仏軍侵入の際(一八〇七―一八〇八年)ベルリンに於ける講演となった。フィヒテはすでに一八〇五年エルランゲン大学の教授に任命され、翌年亦ケーニヒスベルク大学の教授として仮の任命を受けたが、一八一〇年ベルリン大学が建設されるに当って該大学教授となった。フィヒテに対する社会一般の信望は日に日に大となりつつあったのである。一八一二年に再び『道徳論の体系』を書いているが、以前の道徳論と比較して宗教的色彩が濃いことは云うまでもない。個人の性格は団体へ関与することに於て初めて成り立ち、団体意識こそ真の道徳的意識である。義務や当為は従前とは異ってもはや道徳の内的本質ではなく、その根柢には之を規定するものとして愛が横たわっていると説かれている。――フィヒテの知識学の諸叙述が次第に論理的なものから宗教的なものに移行して行ったことは興味ある事実でなければならない。従って始め当為や努力の裡に考えられていた意志の弁証法は、後に到ってはもはや現実自身のもつ規定ではなくて絶対者たる現実に関する体系的叙述のみが有つ規定にまで限定されたことは注目に値する。――祖国のために全力を挙げていたフィヒテは、ベルリンの衛戌病院に特志看護婦として働いていた忠実な妻がチブスで倒れて間もなく、妻の病気が伝染して死んだ。
カント自身は夫を承認しなかったが、フィヒテは初め自分の哲学が全くカント哲学を原理によって組織化するものに外ならぬと信じていた。この組織・体系の概念はヘーゲルの観念論の体系に到って最も
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