具体的な形を取ったものである。併しフィヒテの観念論がカントの夫と異なる特色はそれが何よりも専ら倫理的或いは宗教的であった点に存する。と云うのはフィヒテにとってはカントが実は最初の問題となし、後にはまたシェリングが取り上げた処の自然という概念は、至極軽い位置をしか与えられていないのである。フィヒテの全集は同じく哲学者である息子の小フィヒテによって出版された(本集八巻、遺稿三巻)(一八三四―五年)。メディクス(F. Medicus)の編纂にかかる選集(六巻)(一九〇八―一二年)がある。
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参考文献――Hase, K., 〔Tenaisches Fchte−Bu:chlein〕, 1856; Loewe, J. H., Die Philosophie Fichtes, 1862; Lassalle, F., Die Philosophie Fichtes und die Bedeutung des deutschen Volksgeistes, 1862; Windelband, W., Fichtes Idee des deutschen Staates, 1890; Rickert, H., Fichtes Atheismusstreit, 1899; Fischer, K., Fichtes Leben, Werke und Lehre, 1900; 〔Le'on〕, X., La Philosophie de Fichte, 1902; Lask, E., Fichtes Idealismus und die Geschichte, 1902; Fuchs, E., Vom Werden dreier Denker, 1904; Medicus, F., Fichte, 1905.
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[#中見出し]プレハーノフ ゲオルギー・ヴァレンチノヴィッチ Georgii Valentinovich Plekhanov(一八五六―一九一八)[#中見出し終わり]
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ロシアに於けるマルクス主義の卓越した理論家であり同時に実践家である。今日のロシア・マルクス主義のために哲学的基礎を固めた点と、ロシア共産党の成立及び発展に与って極めて有力であった点とで、忘れる事の
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