vは太字]の Wissenschaftslehre のそれである。カントの先験論理学は彼の経験理論を一貫して、実は極めて精緻な意識の分析によって裏づけられている。之は先験論理学に対してカントの先験心理学の部分と呼ばれているが、ボルツァーノは之に反対して、徹底的に問題を客観的な観点へ持って行った。心理学的な表象に対しては論理学的に表象自体なるものを考えなければならぬ。之はそれ自身真理でも虚偽でもない。之が結成されて生じる命題自体にして初めて真偽の区別を生じる。真理も心理的な意識とは独立な真理自体でなくてはならぬ。こうした「自体」の世界は一般に意識からも形而上学的な実在からも独立な意味の世界に他ならぬ、とボルツァーノは主張する。
 ボルツァーノのこの客観主義を認識作用に照応する対象一般に適用したものは、マイノングの「対象論」であり、之を却って再び心理学に適用したとも看做されるのはF・ブレンターノやE・フッセルルである。後の二者によれば、意識作用の本質は、主観にぞくするにも拘らず対象を客観的に指し得るという点に存する。――この系統の論理学乃至論理研究は大体に於て反カント主義的であるが、カント主義自身から出発して、矢張徹底的な客観的論理学に到着したものは、E・ラスク(西南学派)である。論理学は真理価値を問題とするものであるが、真理と云えばまだ何等か主観的な観点が混入するので、真偽を絶した無対立の価値が最後の論理学的なものだ、と彼は考える。
 其他近代の論理学に数えられるものには内在論者のシュッペや、ヴント、ランゲ、リール、其他を数え得るが、最後に、形式論理学の最も徹底した形態として、数学的論理学を挙げねばならぬ。形式的論理学本来の形式性と機械的性質とを、最も露骨に強調したものは恐らくW・S・ジェヴォンズ[#「W・S・ジェヴォンズ」は太字]だろう。彼はW・ハミルトンやG・ブールの影響を受けて、論理学上の操作を数学的な記号によってひたすら矛盾律のみに手頼って行おうという思想を展開し、遂に論理学的計算機までも設計するに至った。この種の論理学は一般に記号的論理学とか数学的論理学とか、乃至は論理計算とか Logistik とか呼ばれる。(ジェヴォンズ自身は之を純粋論理学と呼んでいる。)現代に於てこの立場を代表するものはB・ラッセルやL・クーチュラー等であり、ラッセル[#「ラッセル」は
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