スる根本的な修正の動きを見て取ることが出来る。
このようにして、所謂論理学の領域外に於て、論理上の根本問題が、認識理論が、展開され、当時(十七世紀)の科学の水準に照応して、課題の提出と解決とを要求されていたのである。認識に関する論理的省察は実は遠くルネサンス(ニコラウス・クサヌス――クーエのニコラス)以来、系統的に発達して来つつあったのである。――さてそこで、前に述べた大陸のラショナリズム乃至先天主義とイギリスの経験論との、認識理論上の例の対立を総合すべく、新しい論理学の方向を開拓したのがカント[#「カント」は太字]である。
カントがこの認識論上の問題を論理学という軌道に乗せて提出しなければならなかった根本的な理由の一つは、ニュートンの自然科学に就いての論理的考察を必要と感じたことからである。元来ニュートンの科学上の功績とその組織的な方法(夫は『自然哲学の数学的原理』という主著の名称がよく説明している)は、広く当時のイギリス、フランス、ドイツ其他の啓蒙学者を、動かしたものである。多数の啓蒙学者はニュートンに就いての考察を書いた。カントも亦その一人に数えられる。だが恐らくカントは誰にも増して最も深くニュートンに動かされた十八世紀の哲学者であろう。と云うのは、ニュートンの数学的方法による自然研究は、それが数学によって支配される限り、疑うべからざる必然的で普遍的な認識(認識をカントは経験という言葉を辿って理解している)を与えるものであるが、この経験の必然性と普遍性との説と、例の経験論乃至それに由来するヒューム的懐疑論とが、如何に折り合うことが出来るかが、カントの何よりの関心を集中した問題である。
従来の論理学の常識によれば、先天的な判断を下し得るものは分析的(演繹的)判断だけで、総合的な判断は凡て経験的な通用性しか持たない。処がニュートンの数学的方法による自然科学の根柢には、先天的で総合的な判断が横たわっている。そこで、こうした判断を理解し得るような新しい論理学が必要でなくてはならぬ。之をカントは先験的論理学と名づけた。
先天的な而も総合的な判断はまず第一に数学に於ける諸判断である、とカントは主張する。数学の判断は概念だけでは出来上らない。それが構成されるためには、まず直覚=直観(それは全く感性に属するもので悟性やその概念には属さない)がなくてはならぬ。三角形とい
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