i主として論理法則・論理要素の教説の部分と研究法の教説の部分)を併せ含むものとなったのである。
 こうした形式論理の一応最後の形のものを、後に整頓し統一して大成したものは、J・S・ミル[#「J・S・ミル」は太字]の A System of Logic である。ここではこの段階に立つ立場から取り扱える限りの一切の論理学的諸問題を網羅して、組織立て、その間往々独自な研究と見解とが※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されている。特に社会科学に於てその総合乃至折衷の才を擅《ほしいまま》にした彼は、形式論理学を如何に社会科学に適用すべきかという社会科学方法論を、おのずからここに展開することになった。之は社会科学方法論の古典的な成果の代表的なものと看做してよい。
 だが、この時までに、所謂論理学(形式的論理学・一般論理学)以外の領域に於て、すでに一種の根本的な論理上の問題が、多くの哲学者によって提起されていたのである。フランスのデカルトは如何にして確実疑うべからざる認識を得ることが出来るか、ということに就いて、その方法論上の懐疑説を提出した。その結果彼は観念の先天性の主張に帰着している。イングランドのJ・ロック(ホッブズを経てベーコンの後裔でありヒューム、アダム・スミス等を経てミルの祖先に当る処のこのデモクラット)は之に反して、観念が凡て経験に由来するものであって、生具観念はあり得ないと主張する。大陸のライプニツはロックのこの人間悟性に関する経験論的エッセイを、一つ一つ先天主義=ラショナリズムの立場から反駁した。
 なお、デカルトとスピノザとは、夫々認識の方法と知性の改善とを問題とする。――そしてライプニツは、真理に就いて、永久真理と事実真理とを区別し、前者が数学的真理であるに反して、後者は物質的な、そして特に歴史的な真理だと考える。前者は必然に立脚する真理であり、後者を偶然に立脚する真理だという。(ポール・ロアイヤールの僧院の論理学なるものがあるが、この僧院に暮した一人であるパスカルは、幾何学的精神と繊細な精神とを区別した。夫と之との間には一脈共通なものが発見されるかも知れない。)そこからライプニツは、この事実真理を成立させるために、形式論理学に新しい法則をつけ加えた。充足理由の原理が夫である。ここにすでに従来の形式論理学に対する
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