n文化化・其他を最後のイデオロギー内容としなければならないのであるが、特に日本ファッシズムはこのイデオロギーに特別に都合のよい根拠を付与することが出来る。日本の封建的残存勢力を利用して、ファッシズムが必然に赴かざるを得ない一種の封建化的イデオロギーを、強化し権威づけるものが、正にこの日本ファッシズムのイデオロギーとしての日本主義であり、そしてその中心観念が日本精神なのである。
それ故日本精神の各種の主張は、まず第一に日本精神を高唱する一つの精神主義という共通特色を有っている。唯物主義・唯物思想・唯物論、乃至科学的態度・技術的文化、そして最後に個人主義と資本主義、之に対するものが精神主義でなければならぬという。尤も之は決して日本精神主義に就いてだけに限る現象ではなく、各国のファッシスト独裁国のファッシスト・イデオローグの共通な云い草であるが、特に日本精神主義はこの精神が特別に日本的であることを強調する。と云うのは、ヒトラーもドイツ的精神を、ムッソリーニも亦イタリア的精神を強調するのであるが、日本精神主義者は、国粋的な国学の範疇を用いて独特な国史認識の方法を用意しているのであり、或いは民族神話的、或いは儒教的、仏教的或いは却ってヨーロッパ哲学的、言辞を援用することによってさえ、固有に日本的なものを導き出す。その結果、日本精神主義による日本精神なるものは、その国家封建主義的乃至封建主義的な国史認識の方法とその認識の対象との二重の関係から云って、根柢的に封建的な乃至は原始的でさえある処のものとならざるを得ない。所謂日本精神のこの封建性乃至原始性を利用することによって、現代日本の資本主義の露骨な矛盾は、合理的に解決される代りにこの矛盾が無かったかのような原始的な諸条件の讃美にすりかえられる。
日本精神主義の一つの変形はアジア主義乃至大アジア主義であり、日本精神に基く日本はアジア有色人種の代表者・指導者として、ヨーロッパの唯物思想・個人主義・資本主義等々に対抗しなければならず、つまり満州及び支那其他は日本を盟主として甦生しなければならぬと説く。この際日本精神に基く政治理想は法治国家の観念の代りに古代支那の封建イデオロギーの一つである王道主義でなければならぬ。――それから日本精神主義の一つの特殊な形態は、一種の農本主義となる。日本の封建制残存の一つの物質的地盤でもある処の農業
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