ェ、人間的経験乃至認識に於て最も基本的な段階にあるものが自然科学的知識だからである。尤もその際、すでに述べたように、自然科学と社会科学との原則的な区別とその連関とを見落すことは、再び例の科学主義や技術主義や機械論に陥ることだが。
この場合まず注目すべき要点は自然科学の方法に関してである。普通自然科学の方法は、説明にあるとか因果づけにあるとか法則の付与にあるとか、と云われているが、そういう規定よりも大切なものは、一体自然科学の方法とは何を指すか、である。独り自然科学に限らず一般に科学の方法とは何か、ということである。方法(Methode)の科学手段(Mittel)と狭義の科学方法(Weise)とに区別されなければならぬ。自然科学はまず観察実験したり統計を取ったりして材料を占有吟味した上で、この材料の間の法則的な関係を惹き出すべく数学的解析操作をしたり概念上の分析操作をしたりする。と云うのは、実験や統計の出発点としても又その整理のためにも、すでに自然科学的諸法則を云い表わす公式の方程式的処理や、根本概念の分析定着が必要であると共に、逆にこの方程式や概念を決定するものが、又元来実験や統計だったのである。(社会科学に於ては実験という操作は一応大した役割を有たぬと考えられているように、統計と操作は自然科学に於ては今の処事実重大ではないが)。さてこうした観察・実験・統計・数学的解析・概念分析などが自然科学の科学手段である。
科学方法は之に反してかかる科学手段を夫々の必要な操作として選択・結合・活用する処の総体的な組織的な処理を指す。かかる方法は一口で云えばオルガノン(論理)である。この論理=科学方法は又研究方法(Forschungsweise)と叙述方法(Darstellungsweise)とに区別される。前者は論理が自然科学的研究材料を征服して行く前進の過程であり、後者はこの過程を逆に辿って整頓することによって論理的・表現的な形態を之に与える仕方を指す。この往相と還相とが一環となることによって、自然科学(一般に科学)の方法の目的が完成するのである。表現形態を取り得ない研究は何等実質的な研究でなく、科学の発達に資する筈はあり得ないからだ。――この研究方法と叙述方法とを貫いて論理が研究用具(オルガノン)として一貫するのであるが、この論理に形式主義的論理(形式論理学)と弁証法と
前へ
次へ
全100ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング