Y的な技術又は観念生産の技術(例えば創作技術)たる単なる技法や手法は、この技術の観念のアナロジー・拡大・応用・其他と見られねばならぬ。
 (二)[#「(二)」は縦中横]技術と技能 この物質的生産の技術は、物質的生産の技能と其他の技術部分とを含んでいる。元来物質的生産は物質的生産力によって営まれるのであるが、この生産力には人的要因たる労働力と物的要因たる労働要具の体系とが含まれる。所でこの労働力の一つの資格が技能であり、この労働要具(機械・道具)の体系が其他の技術部分である。
 技能と機械体系とは併し分離して考えることは出来ない。機械体系は人間の機械的な直覚・熟練・其他を基準として設計されると共に、逆に如何なる機械体系が社会的に存在するかによって人間の技能は歴史的にその性能を強制される。だがこの際技能の方は労働条件の如何によってはその分担が労働力にとって一応自由であるに反して、機械体系の方は物質的必然性によって労働力を強制するから、終局に於て機械体系が技能を決定すると云わねばならぬ。併しこのことは機械体系と技能とが全く別な二つの現象であるという事実を蔽うものではない。この全く異った二つの現象が同じく技術と呼ばれる。二つのものを媒介する概念としての技術は、社会に於ける技術水準とも云うべきものだと想像される。この点まだ定説がない。
 (三)[#「(三)」は縦中横]技術と技術学 かかる物質的生産の技術は技術学(工芸・工芸学・工学)と往々混同又は同一視されているが、二つの言葉は区別して使用される必要がある。社会の技術的水準とも云うべきものが技術で、それと結びついていた機械体系としての技術に関する科学が技術学なのである。
 【経済的・社会的範疇としての技術】  一般に技術は人間の社会生活が直接自然と結びついた領域に成立する。だからこれは一方に於て自然に属すると共に他方に於て社会に属する。自然に属する限りに於て技術は自然科学と不離な関係に立つ。技術乃至技術学は自然科学の母胎である。社会に属する限り技術は経済と不離な関係に立つ。機械も決して単なる自然科学的・技術学的範疇ではなくて、経済的・社会的範疇である。
 併しこのことは技術(まして機械)が社会の根柢であることを結果しない。社会の根柢は物質的生産力であるが、技術は少くともこの生産力の一部分にしか過ぎなかった。従来技術の哲学なるも
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