として科学を考えるかどうかである。直接現象として科学を考えるかどうかである。直接現象としては科学と技術とは勿論交互作用を営んでいるのであるが、社会的生産機構の文節から考えて行くと、科学が技術によって終局的に限定される[#「終局的に限定される」に傍点]という公式は、動かすことが出来ぬ。
 こう云うと、科学的精神というものこそ技術的精神に帰着すべきものだ、ということになる。一応それでもいい。だが考えなくてはならぬのは、ここで技術的精神というのは決して技術の精神や技術学の精神などではない。正に文化[#「文化」に傍点]の精神を云い表わすものだったのだ。そう考えれば、寧ろ技術的精神は科学的精神に帰着すると云った方が、視野が開けるわけで、技術的精神は科学的精神の半面であるということになる。
 科学的精神については、今日方々で論じられている。大体の成果を纏めて云えば、科学的精神は第一に実証的な精神である。或いは実験的な精神だ。第二にそれは合理的精神とされる。理性的推理の精神であり、つまり論理的精神である。田辺元博士はこの二つの規定を以て、相反する二つの契機と見做す。実験と理論との対立、経験論と合理論
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