めたのは近代以来であるということは、断わるまでもない根本事実であって、之は正しい、近代産業の発達と支配との平行することは、誰知らぬ者もないからだ。するとつまり、技術的精神が近代文化のイデーを特徴づけるものだという提言は、近代産業が近代文化の特色を決定するものだ、という提言に帰着するわけだ。
近代文化が近代産業(産業革命後の工業を中心とする)によって決定されるということは、之亦ただの常識として広く知られていることであり、そうであるらしいのだが、併しこの思想をめぐっては色々の問題が議せられているのであって、必ずしも簡単に判り切っている関係ではない。例えば或る種の文明評論家によると、技術的精神乃至技術の精神は、単に欧米の近代文化の精神に過ぎないのであって、必ずしも近代世界全体を支配しつつあるものでもなければ、そういう権限のあるものでもないという。東洋精神(彼等は之を勝手に妙な神秘主義と考えるのだが)は技術的精神と異なったものであり、それが今後の近代文化(?)の新しい主人となるだろう、ならねばならぬ、とも云う。
これによると技術的精神はヨーロッパ人の皮膚の白さと同じようなもので、何も白くな
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