応の用意を必要とするのである。社会は実証、検証、に適するようなカテゴリーの組織が必要だ。それは従って、産業技術、生産技術、と連帯関係に置かれているカテゴリーでなくてはならぬ。形而上学的な又解釈学的な、文献学主義的、文学主義的、教学的、等々のカテゴリーでは、社会の一物をも、現実には処理出来ないものである。或る意味に於ける物質的処理(世界のただのあれ之の説明ではない)が出来ないのでは、人類の生活のために存する論理ではない。処でこうしたカテゴリーは云わば技術的カテゴリーだ。そしてこの論理、この合理的精神、が取りも直さず技術的精神なのだ。思想、文化、に於ける技術的精神の絶対的な要請は、つまり思想、文化というイデオロギーが社会の生産機構に基く上部構造としてしか正当に把握出来ないという根本認識の、論理学的な認識論的な発展の他のものではない。科学的精神について、この根本的な側面を説明しようとすれば、それが取りも直さず、技術的精神によって、文化と思想とは初めて産業と物質的社会的生産とに結び合わされる。社会に於ける産業と全く独立した文化や思想ほど、客観的に見てみじめなものはない。それが惨めに見えないもの
前へ
次へ
全18ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング