は、世界の歴史を知らぬ者であり、思想の本当の圧力というものを経験したことのない者だ。――近代思想が、みずから認めると否とに拘らず、如何に圧倒的に近代産業によって規定されているかは、すでに述べた。産業は産業、思想は思想、などと云う者は、近代の思想家であることが出来ない。
 で私は、もし科学的精神とは何かを一口で説明せよと云われるならば、夫は技術的精神であると答える。社会に於ける物質的生産技術への媒介によって、そのカテゴリーを整備し、その推論と検証とを怠らぬものが、文化を一貫する、そして近代文化を特色づける、動かすべからざる精神であると、私は答える。
 最後に併し、技術的精神というその技術とは何か、という疑問が残る。私が技術と呼ぶのは、技能や手法や又芸術や術のことではなくて、「生産技術」のことだ。勿論これ以外のものを技術という通俗語が意味してはならぬと云うのではない。だがプロパーな意味に於ける技術が生産技術を指すのだという常識を忘れると、始末におえない混乱が生じて来る。この点については私の旧著『技術の哲学』で触れてたことがあるから省く。
 生産技術とはでは何か、に就いても、私は或る見解を固
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