文化主義的形而上学の文章に著しい)、第二は文献学主義(学術の名の下に文献訓詁の成果をすぐ様思想の典拠とする一切の博学又は牽強付会の方法――アカデミック・フールに著しい)、第三は教学主義(文化を倫理主義的に制限し教典を以て教化に資することを学問と心得るもの――東洋的僧侶主義や先生的文化観念に特有)である。
 この三つの反科学的、非科学的、精神が夫々の形態に於てではあるが、併し共通の特色とする処は、実証的精神への完全な無能力である。文献による実証は文献学主義や教学主義の得意とする処のようだが、この実証は決して実験的検証的なある実証的精神のものではない。実証的精神ではなくて解釈的精神なのだ。文化的形而上学が、実証的な現実感に薄いことは云うまでもない。之は現実の秩序と天上の可能界の秩序とを混同し、之は後者を以て前者の代理が出来ると考える。解釈の世界を以て現実の実在界の代りにしようとする点で、前の二つと同じ道行きなのだ。
 実証的精神が無能力であるから、正当な歴史的精神は不可能となる。却って倒錯した歴史観を産むものが、文献学主義であり教学主義なのだ。国粋的、封建的、日本主義の社会理論の多くは、之
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