序というものが、初めて歴史をなす。歴史はそうした事物自身のロジックなのだ。
もし合理的精神、論理的精神、本当の客観的な推理(ヘーゲルは推論こそ論理の本質だと考えているから)というものがあるなら、それは合理主義的なアプリオリや生得観念の内にあるのではなくて、この歴史的経過の構造秩序から取り出されたものの内にこそなければならぬ筈だ。でこうした意義に於ける歴史的精神、之が科学的精神であると、一応云っておいていいだろう。小倉金之助博士は、実証的精神と歴史的精神とを以て、科学的精神の説明を試みたように記憶する。だが二つはただ併立させられただけでは恐らくお互いに満足しないだろう。
処で科学的精神を現在の問題として具体的に考察しようとすると、現代に於ける反科学的精神、非科学的精神の側から、まず見てかからなければならぬ。時局の問題として、問題はそういう次第で提出されているからだ。私はこの側面については、少し前から随分沢山書いたように思う。その要点は大体三つの公式に纏めることが出来よう。第一は文学主義(科学的カテゴリーから全く独立に文学的通俗表象によって分析を敢えてする思考法――文学的な評論や放談や
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