)技術観念の急所の一つで、之また相当に苦労した上で例の第三領域論に帰るものである。
だから氏によってテヒノロギーも自然科学や工学、又経済学から独立な領域[#「領域」に傍点]とされるべく、大いに努力が払われている。現に働いていないと技術ではなくて只の機械の如きになる、という風に説かれているようだが、すると日本の技術の大部分は、深夜は死んで朝六時頃生き返える不思議な生きものになりそうである。
技術を物と見るのも、領域と見るのも、共に不都合ではないかと思う。私はずい分前、技術を社会に於ける技術水準のことだと云って見たことがあるが、定義にしようとすれば形式上同義反覆を含むが、形式上の定義が問題でないとすれば、矢張り意味のないものではないようだ。水準というからには、丁度熱が温度で計られるように、技術を或る量[#「量」に傍点]的なものと見るわけで、物でもなく領域でもなく、力[#「力」に傍点]のようなものと考えるのである。ヴェントという学者は技術を「文化力」という力に見立てているが、それはとにかくとして、私はまず手近から生産力という力をこの際思い出す。
処で生産力の拡充とか其の他其の他と云って
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