了う。之によって結果する処は通路の完全なる紛失と、論理性の完全なる独立とであるのは当然であるであろう。というのは妥当は全く主観への関係を絶った超越的客観となると共に、それは又「論理的なるもの」そのものの理想的王国となるのである。このようなものが判断から妥当への動機である。それ故妥当はその動機を反省することによって、再び判断と結び付くべき任務を帯びずにはいられない、それは始めから約束された課題であった。故に妥当はただ判断に於てのみ[#「ただ判断に於てのみ」に傍点]、再びその通路を拾い上げることが出来るのである。従って妥当の概念は判断の概念によって、而もその構成性(論理性)によって、動機づけられている。ただこの構成のみを独立化して、破綻の懼のあった判断をば妥当にまで転位するが故に、判断が蒙ったかの破綻を黙殺し得たまでである。その代りこの妥当[#「妥当」に傍点]は存在[#「存在」に傍点]とは全く独立な概念として現われて来なければならない。かくして空間――それは存在にぞくした――の性格は明らかに妥当の性格とは独立でなければならなくなる。
空間概念の性格は判断[#「判断」に傍点]でもなく妥当[
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