葉であるが、この論理性の蒙る筈の今のこの運命を無視して、この論理性を追求するならば、そこに表われるものは正に妥当[#「妥当」に傍点]の概念である。「妥当の領域」に於ては、「判断」に於て現われたような性格の破綻はもはや見出されないかのように見える。けれども吾々は妥当の概念をその成立の動機に於て理解する必要があるであろう。なる程妥当は判断に先立って妥当し、そして判断に固有な肯定否定の対立を超越していると説明される(吾々はラスクの判断論に於てそう教えられている)。判断の主観性に対して妥当の客観性が説かれる。併しながらそれにも拘らず、妥当という問いは実は決して判断に於いての関心と独立に成り立ったのではない。却って判断というテーマに一旦立ち之を否定することによって始めて妥当の概念は歴史的に成立する。処が判断を否定するというのも決してそれの完全なる否定ではなくして、実は却って判断が持つ処の論理性の徹底に外ならない。結局この徹底は判断の客観化[#「判断の客観化」に傍点]に外ならない。この客観化に於て判断に於て認識の通路として役立った論理性は通路[#「通路」に傍点]としての任務を捨てて「領域」となって
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