区別を無視する時にのみ、本質は構成的概念であるかのように誤られるであろう(例えば W. Ehrlich***)。第二にこの概念は単に言葉の意味[#「言葉の意味」に傍点]でもあり得ない筈である――それは「概念的[#「概念的」に傍点]な言葉の意味」であった。現象学の分析は言葉として用い慣らされている呼び方から出発しはするが、スコラ的概念ではない。かくして現象学に於ける本質概念は一応吾々の概念と一つであるように思われる。処がそうであるからと云って概念の分析[#「概念の分析」に傍点]は吾々のそれと一つであるのではない。現象学に於ては、概念の分析の源泉を現象[#「現象」に傍点]に求める(そして現象は現象学に従えば意識[#「意識」に傍点]である)、しかるに吾々の概念の分析は、概念それ自身を源泉とする筈であった。現象学に於ける概念の分析――それは「本質の分析」である――は実は意識[#「意識」に傍点]の分析である。之に反して吾々の求めるそれは、言葉通りに概念[#「概念」に傍点]の分析でなければならない。――そして概念の分析の意味が異るだけそれだけ、概念[#「概念」に傍点]の意味も異るわけである。実際本
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