を有とうとすれば、それは必然に構成的概念になる外はないのである。何となれば、概念という性格を持つことによって初めて、概念は独立[#「独立」に傍点]し、それ自身の世界を構成[#「構成」に傍点]し得るのであるから。であるから吾々が一般に概念に就いて語る時、常に先ず、それが無性格であるかないかを決めてから語らなければならないであろう。これを混同する時、重大な結果を齎す。例えばヘーゲルの概念[#「概念」に傍点]を、絶対的[#「絶対的」に傍点]な、独立[#「独立」に傍点]な、自己発展的な理念、と解釈し得るならば、それは性格ある概念――構成的概念となる。その時この体系は観念的なるもの――それの性格が概念である――の所産の集成として説明され、形而上学となるであろう*。
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* 或る人々は静的[#「静的」に傍点]実在を想定する哲学をのみ形而上学と呼ぶのを当然と思い做す。けれども吾々にとっては実在の絶対化・独立化こそ夫である。絶対化・独立化は必ずしも静止化[#「静止化」に傍点]ではない。
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 吾々の概念は無性格である。之を性格者と考える時
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