多くの批難が吾々の概念に向けられるであろう。吾々の概念が一切のものを観念化[#「観念化」に傍点]しはしないかという質疑がその一つである。吾々の概念が一切のものを論理化[#「論理化」に傍点]しはしないかという質疑がその二である。併し再び云おう、概念は無性格である、それは観念的[#「観念的」に傍点]という性質も論理的[#「論理的」に傍点]という性質も持ちはしない。

 概念は常に名称[#「名称」に傍点](名辞[#「名辞」に傍点])を有つことが出来る。或る概念をどの言葉によって名づけようとも一応は勝手であるとも考えられるであろう。併し吾々が出会う殆んど総ての場合は、或る課せられた概念をば、既知の言葉を以て名づける場合であることを、注意しなければならない。或る課せられたものを観念と呼ぶことによってそれの概念を成立せしめるか、或いは物質と呼んでそうするかが、問題となるように、既知の――歴史社会的に与えられたる[#「歴史社会的に与えられたる」に傍点]――言葉の内から、この概念に適すると思われる言葉を採用して、命名[#「命名」に傍点]するのである。処がこの場合の命名は決して勝手であることは出来ない。
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