を有たねばならぬ。例えば物質は物質の性格として把握される代りに、理性・意志・自我などの所産として(それ等の性格を有つものとして)説明[#「説明」に傍点]される。茲に形而上学が成立する。
[#ここで字下げ終わり]
さて理解の無性格は直ちに概念の無性格を要求する。某概念は某性格の概念であるから、その限りその概念は某性格を有つと云うことは出来る。けれどもこの概念は概念という性格[#「概念という性格」に傍点]を有ってはならない。概念「直観」が、直観概念が、もし概念という性格を有つならば、即ち概念でしかないならば、この概念は直観[#「直観」に傍点]の概念ではなくして概念[#「概念」に傍点]の概念になって了う。かくて直観[#「直観」に傍点]は消えてそれと正反対な概念[#「概念」に傍点]が残る。かくしては直観という概念自身[#「概念自身」に傍点]が成立しなくなるであろう。概念が自己の性格を有つ時、却ってその存在を失うことすらあるであろう。概念が概念であるためには、却って自分自身は無性格でなければならない。
把握的概念は無性格である。之に反して構成的概念は性格を有つ。否、概念一般が概念という性格
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