語としての――概念によって特色づけられる或る部分があるということは、至極事実上ありそうなことであるし、又吾々の理論の整合から云っても充分成り立って好いことではないか。却ってこの日常語を地盤としてこそ初めて吾々はこの術語をも統一的に理解し得るのである。併し人々は叫ぶであろう、術語として普通通用している概念を捨てて特に日常語としての所謂「概念」を紛らわしくも概念と呼ばねばならない理由が何処にあるのか、と。なる程それを概念と呼ばずに外の名を以て呼ぶことは勝手であるようである。併し吾々の目的――空間概念の分析――にとってはそれを概念と呼ぶことが必要なのである。何となれば空間は吾々のような意味に於て、そして人々のような意味に於てではなく、空間概念[#「空間概念」に傍点]であるであろうから。併し空間が何故空間概念である必要があるのか。空間が分析[#「分析」に傍点]され得んがために(後を見よ)。
概念は理解と離れて理解し得ず、理解は概念と離れて概念し得ない。以後両者はただ両者の統一の真理の上に立ってのみ語られる。
理解とは常に性格[#「性格」に傍点]を理解することである。人を理解するとはその人
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