理的であった――であろう、把握的概念の与り知ったことではない。
今や吾々は理解(把握)を借りて之に基いて概念(把握的概念)を説明することが出来る、そのための法則を今吾々は掲げた処であった。把握は静観的であったばかりではなく実践的であった。故に概念は静観的[#「静観的」に傍点]であるばかりではなく実践的[#「実践的」に傍点]でなければならない。之は人々の耳には不可思議に響くかも知れない、実践性を有った概念とは(実践的なるもの[#「実践的なるもの」に傍点]に就いての概念ではなくして明らかに実践性[#「実践性」に傍点]を有った概念である)。併し今の場合の実践的は実践を必然ならしめる契機となることが出来るという意味であったのを憶い起こさなければならない。概念が行動するなどと云うのではない。尤も単に言葉[#「言葉」に傍点]を以て表現[#「表現」に傍点]するという意味での把握的(表現的[#「表現的」に傍点])概念だけを概念と考えるならば、それが実践的であるという言葉は、今云った意味に於いても、まだ軽率であるに違いない。併しかかる表現的概念を適当に[#「適当に」に傍点]――その日常性にまで――拡張
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