することをこそ、吾々は把握からの口授によって教えられるのである。その時概念は単に言語的に表現[#「言語的に表現」に傍点]するものであるばかりではなく、実践的に表現[#「実践的に表現」に傍点]する――行動する――ことを必然ならしめる契機となるものでなければならない。実践の根柢には把握があり、その限り又把握的概念があるのである。次に、把握は理論的であったと共に情意的であり得た。故に概念は理論的[#「理論的」に傍点]であると共に情意的[#「情意的」に傍点]でなければならない(把握的概念は理論的[#「理論的」に傍点]ではあり得る、併しそれは無論論理的[#「論理的」に傍点]であることとは異る)。再び人々は疑わしげに聴くであろう、概念が情意的であるとは。一体そのようなものが何故概念の名に値いするのか、と。けれども人々を不意に襲わないためにこそ、吾々は理解の説明の迂路によって概念を説明しようとするのである。例えば人々は友人の友情を理解しないであろうか。併しこの理解は理論的であるか(吾々は常に日常語を取り扱っているのを忘れてはならぬ)。彼の友情を理解することは彼の友人となることであるが、それは彼に対し
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