多くは[#「多くは」に傍点]この延長を有つもののことであるのを発見することが出来る(意識の内に継起すると云うことの出来るようなものは、たといそれが経験的であるにしても――例えば内部知覚の如く――、之を必然的に感性的と呼ぶことを人々は何かしら躊躇しないでもないであろう。それが断然感性的と考えられる場合は、恐らく延長せるものとの交渉をそれが本来もたねばならぬ運命が発見された時である)。少くとも眼で見手で触れることの出来るもの――それが感性的なるものの第一義的特徴であると考えられる――は常に延長を有つ。延長によって或る人々は確実堅固なるものの保証を発見し、又或る人々は不安薄弱なるものの適例を見出す。このようにして善い意味に於ける又は悪い意味に於ける感性を、最も端的に与える事態が恰も延長である。延長は空間の基礎的概念である。
 延長の事態に第一に含まれているものは次元[#「次元」に傍点]の概念である。但し茲に云うのは延長の[#「延長の」に傍点]次元であることを忘れてはならない。というのは次元は様々の概念を持つことが出来るからである。一般に次元の概念は多様性の概念を要求する。何となればもし次元者と仮想されたものが真に単一者であるならば次元は成立しない、一次元ということも常に多次元を可能なものと予想し之に対して始めて成り立つことが出来るのであるから。次元は多様性を必要とするが、なお之は更に多様性の統一を必要とする。茲に於て多様性はこの統一の分となる。さてかかる分が夫々他の分と独立である時次元は始めて可能となるのである。各分が独立であるから他の分に還元されることが出来ない。重さは長さに還元出来ず、又長さは重さに還元出来ない、その意味に於て重さ・長さ其の他は独立の分である。それ故重さ・長さ其の他は計量の次元となるのである。以上は一般の次元である。処が延長の次元に於てはこの分それ自身が延長を有つのでなければならない。この時延長は三次元[#「三次元」に傍点]の統一となって事態の事実上表われて来る特徴を有っている。人々はこの三次元性を合理的に説明しようと試みる、或る人は延長を非感性化することによって延長そのものをこの感性的なる三次元性から救おうとし、又或る人は之を他のものから演繹しようと企てる*。けれどもこのような説明[#「説明」に傍点]が一般に如何に吾々にとって無意味であるかは繰り返し
前へ 次へ
全62ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング