指摘された。人々は事実を「合理化」そうと欲するが、併し事実とは事実として承認されるべきことそれ自身を意味するとすれば、之を合理化しないことこそ合理的ではないのか。或る人々はこういうであろう、空間が三次元であることは抽象の結果に過ぎないのであって、直接に[#「直接に」に傍点]与えられた空間はそのような次元を持つものではないと。けれどもその直接とは何か、恐らく表象へか又は人々が普通に持つ処の観念――普通性に於ける――へか、直接に与えられることであろう。吾々の求めた常識的概念は日常的でこそあれ、普通性でもなければ表象の直接性でもなかった。三次元が抽象の産物であると云うのか、分析は常に抽象的である。延長は三次元である。延長の三次元の各次元は交換し得る(vertauschbar)ことをその特色とする(例えば複素数の次元――之は無論延長の次元ではない――は交換し得ない、[#ここから横組み]a+bi[#ここで横組み終わり] の次元を交換すれば [#ここから横組み]ai+b[#ここで横組み終わり] となるであろう。それにも拘らず尚交換し得ると考えられるならば、その時は実は延長の次元が考えられているのに外ならない)。又この三次元は変換し得る(transformierbar)性質を持つ。この交換性と変換性に於て等方性[#「等方性」に傍点]の概念の生じる基礎があるのである。恐らく人は問うであろう、上下と左右は交換し得るかと。その人を横たえれば質問は撤回されるであろう。
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* あるカント学徒は三次元性と空間=延長とを切り離すことによって、又シェリングは演繹によって、延長の三次元性を説明[#「説明」に傍点]した。ポアンカレは之に反して之を分析[#「分析」に傍点]している(〔Poincare', Dernie`res Pense'es, p. 55 f.〕)。
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 延長の次元は次に等質性[#「等質性」に傍点]を有ち直線性[#「直線性」に傍点]を有つ。物理的、幾何学的、心理学的空間は場合によってこれ等の性質を持たないし或いは持たないと考えられるが、そのような専門的概念を今茲で問題にしているのではない。吾々の空間がこのような専門的規定に先立って特に等質的でなく又直線的でないと考える動機を、吾々の空間概念に於て発見することが出来ないで
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