しいが)。何となれば吾々の概念は常識的であったから。併し又それであるからと云って、世間普通[#「普通」に傍点]に行なわれる空間に就いての説明をそのまま借りて之に基いて分析を進めることも許されない。何故ならばもしそうすれば、世間一般に行なわれることを意味する普通性[#「普通性」に傍点]を以て、常識的概念の持つ日常性[#「日常性」に傍点]に代えることになるからである。又更に、この分析は意識の分析からも独立でなければならない理由がある。無論概念の内容――分析によって吾々は之を明らかにするに外ならない――が、同時に意識にぞくしその意味に於て意識の内容であることを、吾々は否定するのではない。併しながら概念の分析――今の事態の分析[#「事態の分析」に傍点]はその一部分である――によって明らかとされる内容が、そのまま意識の分析によっても亦明らかにされるに違いないという保証は何処にもなかった筈である。そして現に空間意識の分析に於て最初のもの――恐らく形とかそれに結び付いた色とか――は、空間概念に於ける最初のものではあり得ない。吾々は云わば材料を意識に仰ぐかも知れない、併し材料の処理――それが分析である――は意識の支配を俟ってはならない。かくて空間概念が有つ存在性の事態は全く特異の仕方に於て分析されねばならないのである。――そこで概念に於ける分析、之が吾々の用意しておいた言葉であった。今や空間概念の事態は空間概念の性格と動機とを標準として[#「性格と動機とを標準として」に傍点]分析されるべきである。常識的空間概念という言葉の下に元来吾々が如何なる事態を表象していたかが始めて茲に至って明らかにされるであろう。けれども吾々は決して何か目新しいものを提供しようとするのではない。それは人々が日常[#「日常」に傍点]最も好く知っている筈の[#「筈の」に傍点]ものに外ならないであろう、ただ人々が普通[#「普通」に傍点]それを自覚し確保していないというまでである。この最も当然[#「当然」に傍点]なるもの――それであればこそ常識的[#「常識的」に傍点]概念である――をそのものとして把握する代りに、人々はただあまりに多くの説明[#「説明」に傍点](専門的或いは非専門的な)に慣ら[#「慣ら」に傍点]されて来たというまでである。例えば人々はこの最も当然な空間概念をば、或る単純と想像される要素――場処(Pl
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