fte, S. 111〕)
[#ここで字下げ終わり]

 空間概念は、存在性の概念として理解される時、歴史上、最も普通[#「普通」に傍点]に次のような名辞[#「名辞」に傍点]として現われる[#「現われる」に傍点]性質を持っている。第一は「何処」(ubi)として*。この問いの形を具えた範疇は「此処」又は「彼処」の範疇に於て答えられる。これ等の範疇が存在性[#「存在性」に傍点]の概念を云い表わすことは一応之を承認しなければならない。――「何処」とは、「何」であるかという存在者[#「存在者」に傍点]を問うのではないから。けれどもかく問われかく答える時、已に吾々は、かく問うことが出来[#「出来」に傍点]又かく答えることが出来る[#「出来る」に傍点]ことを理解[#「理解」に傍点]していなければならないであろう。問われるものが空間的に存在し得ることを知って始めて「何処」を問う動機[#「動機」に傍点]を吾々は持つ。空間的に存在し得ないものに就いてこの問いを発することには意味がない――動機がない――筈である。併し或る物が空間的に存在し得、之に反して或るものはそうあり得ない、ということを知るには、少くとも已に空間概念を理解しているのでなければならない。この空間概念――それは常に常識的である――が有つ動機に従って始めてこの範疇は範疇として成り立つことが出来る。凡て語ること――その普遍的形態が範疇である――は概念=理解の上に於てのみ可能である。そうすれば「何処」は――最も普通であるという意味に於て最初[#「最初」に傍点]にして直接[#「直接」に傍点]である処の空間的なるもののこの概念は――直ちには常識的[#「常識的」に傍点]ではあり得ない。常識的概念は最も基礎的であるが故に、却って最後[#「最後」に傍点]にそして最も間接[#「間接」に傍点]に与えられなければならないのが普通である。常識的概念――それは日常性[#「日常性」に傍点]である――は普通[#「普通」に傍点]の仕方では発見[#「発見」に傍点]されない。それであるから「何処」という言葉は空間概念を云い表わすことに於て充分であると云うことは出来ない。第二に空間概念は場処[#「場処」に傍点](locus)として現われる。アリストテレスに従えば(彼に於ては空間は場処τοπο※[#ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1−6−57][#1文字目
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