念でなければならない。こういうと又文学者達は批難して云うであろう、人々は何も改めて[#「改めて」に傍点]そのような概念を借りなくても、すでに机と机の表象との区別は明らかに知っているのではないかと。併し之は吾々の言葉に対する批難ではなくして却って保証であるに外ならない。何となれば、この二つのものの区別を明らかに知っていること、それこそ吾々の云おうとする空間概念なのであるから。けれども又云うかも知れない、人々は何もかかる概念に於て理論的にこの区別を知っているのではなくして単に実践的に之を把捉しているのであると。正にその通りである、処で一般に吾々の概念は実践的であり得なかったであろうか――前を見よ。今人が机に坐って手紙を書こうとする時、その机が表象されたものであるか実在であるかの区別が、その人の実践を決定する力を持たねばならない。空間概念とはこの実践を決定する力となることの出来るものを指す(紙の上に――空間的に――描かれた机は、空間的存在であるにも拘らず、実在する机ではないと云うであろうか。併し描かれた机は元来机ではない。机の表象は「机」の表象であり、描かれた机の表象は「描かれた机」の表象である。机と描かれた机との関係は今の区別に関わる処はない)。かかる空間概念は日常生活に於て常に要求[#「要求」に傍点]されている処のものであり、又日常生活を常に指導して行く任務[#「任務」に傍点]を有っている。研究故の概念――専門的概念――ではなくして活動故の概念――常識的概念――で吾々の空間はなければならない。人々は表象に頼らずして常に実在――存在――に頼って生活している、かかる信頼を裏書きするものが夫でなければならない。このような意味に於て空間は一つの存在[#「存在」に傍点]の概念であることが明らかとなった。
存在を向の約束に従って空間的存在に限定しても、存在の意味はまだ決して一様ではない。第一は机という存在者[#「存在者」に傍点]を、第二は机の持つ存在性[#「存在性」に傍点]を、存在は云い表わすことが出来る。人々は普通、空間をこの二つの規定の何れともして説明[#「説明」に傍点]する。吾々は――性格に従って(動機に従って)空間概念を理解[#「理解」に傍点]すべき吾々は――、之に反してただ後者のみを採る。何となれば存在者(物)と存在者との間[#「間」に傍点]が空間的存在にとって是非と
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