晶の構造を明らかにしたり、化学的分析によって炭素に還元したりすることが、その人々の商品そのもの[#「商品そのもの」に傍点]の分析であるのか。商品そのものがとりも直さず商品概念である。商品を商品概念としてではなく単に商品として理解するならば、その分析の意味は今示した通り曖昧であることを免れない。之に反して之を商品概念として理解するならば、――但し之は単に概念[#「概念」に傍点]として理解するのではなくして商品[#「商品」に傍点]概念として理解することである――、その分析は必然に吾々の(又人々の)云う処の分析となる。故に次のことは明らかである。商品が分析され得るためには商品概念が分析されるのでなければならない。凡そ或るものが分析され得るには、そのものは分析され得る通路を持たねばならぬ。この通路がその或るものの概念[#「或るものの概念」に傍点]である。そしてかかる通路を有つその或るものが性格[#「性格」に傍点]である。商品が分析され得る通路、それは「商品の概念」である。この商品の概念という通路を有つ商品、それは「性格・商品」である。そしてこの性格「商品」の分析が「商品概念」の分析である。このようなものが吾々の概念の分析[#「概念の分析」に傍点]なのである。――概念の分析とは結局性格の分析に外ならない。
概念の分析は単なる概念そのもの[#「単なる概念そのもの」に傍点]の分析ではなくして常に、或るものの概念[#「或るものの概念」に傍点]の分析である。と云うのは、或るものの単なる概念(例えば名辞)の分析ではなくして、その或るものを概念に於て[#「概念に於て」に傍点]分析することである。即ち、性格[#「性格」に傍点]を概念に於て[#「概念に於て」に傍点]分析することでなければならない。処で一般に概念の分析はその分析が汲み取られるべき源泉[#「源泉」に傍点]を有つ必要があるであろう。もしそうでなければ分析は一歩も進められないか、もしくば強いて分析を進めようとすれば分析ではなくして内容なき捏弄に陥って了う外はない。そしてこのことはただ概念がその過程を失喪することに於てのみ発生する。処が過程を失喪することは吾々の概念に於ては許されない(構成的概念であるならば恐らく許されるであろうが)、故に概念の分析は源泉を有たねばならない。この源泉、それがとりも直さず又概念である。分析は概念に於て[
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