歴史社会的に与えられた言葉は単なる発言の記号、約束、ではなくして、慣性的に一定した意味を有ち、既知の概念の表現であるから、この命名は実は、旧き概念[#「概念」に傍点]の或る適当なるものを以て新しい概念[#「概念」に傍点]を包摂することに外ならない。処で旧き概念は夫々一定の性格を云い表わす。故に命名とは課せられた概念が如何なる性格を云い表わすものであるかの決定である。そうすれば命名とは性格の理解でなくして何であるか。殆んど総ての場合、命名とは理解である。それ故或るものを何と名づけるかは人々の云い放つように単に「言葉の問題」ではない。その性格を理解しているかいないかの問題である。蓋し言葉は概念から独立に理解することは出来ないであろう(以下言葉[#「言葉」に傍点]は概念[#「概念」に傍点]と同じ資格として語られる)。
 処が概念の持つ名称はそれにも拘らず、それだけが独立して様々の変容を受け、遂にはそれが表現する筈の元来の概念を失って了うことが、事実上起こり得る。例えば意識という名称は様々な変容を経た揚句遂には、もはや意識と呼ぶ理由[#「理由」に傍点]のない概念にまで就くことが出来る。この時意識という名称は意識という概念から離脱し、従って意識として理解されるべき性格[#「性格」に傍点]を云い表わすことを止めるであろう。それは死語となる。さてこの場合変容は何処まで許され、何処から先は禁じられるか。概念は今云った通り理解されて――命名されて――成り立っている、概念の成立には性格の理解、命名の理由が潜んでいた。概念は常にその成立の動機[#「動機」に傍点]に束縛されている。それであるから概念が一方に於て一定の性格を、又他方に於て一定の名称を手放さないためには、この概念は常にその成立の動機に忠実[#「忠実」に傍点]でなくてはならない。故にこの動機を忘却[#「忘却」に傍点]する時その名称の変容はその点に於て禁止される必要がある(この禁止を無視することは表象散漫の症状となって現われる――個人的にも社会的にも。例えば名称の戯画的適用)。又吾々が概念を行使する場合も亦、概念の動機を忘却することは許されない。もしそうでないとしたならば、例えば吾々は悪しき意味での抽象的概念[#「抽象的概念」に傍点]を所有することになるであろう。その成立の地盤との連関――それが動機である――を省ることなくして勝手
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