驍ゥら縦え形が消えたというにしても空間表象が無くなったことにはならない。それ故円の赤い色が消えても円が或いは少くとも延長が消えるということはない。明らかに空間が存在しなければ色は存在しない。併しその逆は必ずしも真理ではない。一体色が存在するというが存在とは何か。それは明らかに空間的存在の外ではない。そうとすれば存在とはこの場合要するに空間のことである。であるから延長と色とが独立に存在し得ない、従って延長はその存在を色に負うている、という推論は無効である。さて以上のことは空間が色と――一般に又他の感覚内容と――同格の感覚内容ではないということを示している。その理由は正に次のことの内にある。即ち空間は延長と形との両面を持っている、形が消えても延長は消えない。然るに色はこのような両面は持たない。赤が消えても色一般は消えないというかも知れないが、吾々は色一般の感覚は持たない。赤と色一般とは同格の内容ではない――形と延長とは何れも表象し得るという点で同格である。表象された空間はシュトゥンプフ自身の云うように多数の印象ではなくして一つの統一でなければならぬ(S. 126)。即ち一つの形は直ちに空間全体への関係を含むことがその特色である。一つの形は全体へ「拡張され得る」ものでなければならぬ。空間は一つである。此処という位置の感覚は彼処という位置の感覚を呼び起こさぬ限り此処の感覚とはならない。然るに赤の感覚がこのような意味で青の感覚を呼び起こすのではない。このことも亦空間表象の両面性という事情に基いている。空間表象は他の感覚内容と同格ではない。であるから又所謂部分的内容という考えもそのまま承認出来なくなる。抑々視空間と例えば触空間との関係はどう考えられるか。シュトゥンプフによれば何れも根源的であって而も両者は一つの「体系」を造る(S. 278)。二つの空間のこの「統一」は根源的な知識(〔uranfa:ngliche Erkenntnis〕)というの外はない(S. 288)。併し今視空間を視覚の部分的内容とし触空間を触覚の部分的内容とすれば、視覚と触覚とは明らかに別であるから、二つの部分的内容が一つとなることは保証されていない。それが根源的な知識であるためにはその統一は視覚にも触覚にも属さない或るものでなくてはならぬ。即ち二つの空間は部分的内容であるにしても又同時に全体的内容とは独立
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