燉e」があってその部分として始めて許される。普通感覚内容が強度や持続と結び付いていると同じ意味に於て空間は他の感覚内容と結び付いている(例えば色と延長のように)。空間表象はこのような「部分的内容」でなければならぬ。併し部分的内容と云ってもその結び付きの相手と何処かで区別される処がなければ部分とさえ云えない。空間とは他の内容から抽象[#「から抽象」に傍点]されたものである。けれども他の内容を捨象[#「を捨象」に傍点]することではない。他の内容を顧慮しない[#「顧慮しない」に傍点]にしても之を全く忘れて了うことではない。例えば視覚内容は色々に変化する、併し変化する仕方そのものを吾々は区別して知覚することが出来るであろう。之が部分的内容となる空間表象である。又感覚内容の一部分は変化するが他の一部分はその変化に際して変化しないと考えられる、それが空間表象である(S. 137, 138)。であるから全体的な内容はなる程部分的内容に分割されることは出来る、併しそれは「外見上」の分割に過ぎない(S. 139)。空間表象はこのような意味で或る全体的内容の部分的内容である。その根源性はこれに基いている、というのである。シュトゥンプフは空間表象――それは一つの感覚内容である――と他の感覚内容とが不可分であることを指摘するのに色と延長との関係を一例として提供する。色と延長とは各々独立に変化することが出来る。一定の拡りが赤ともなり青ともなると同時に、一定の赤が大きくもなり小さくもなる。併しながら色と拡りとが独立に存在し得るのではない。ある拡りを持った赤が、その拡りを次第に小さくして零とすれば、これと共に赤も突如として無色となる。即ち少くとも色の存在は形の存在に依存している、と(S. 139)。併し之に対して私は次のように論じることが出来る。例えば赤い円が次第に小さくなって零となれば赤も消えるというが、逆に赤い円の色が次第に褪せて無色となったとすれば如何なるか。なる程円という形も消えて了うかも知れない。併し形が消えても空間表象が消えたことにはならない。円はそのままでありながら赤い色が円周から次第に褪せて行く――即ち赤い円が次第に小さくなって行く――とも考えられるから、円が消えたと見え[#「見え」に傍点]てもそれと同時に円の元のままであると考える[#「考える」に傍点]ことも出来る筈である。であ
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