)。然るにこの不変量とは何か。変換によっては変換されないものがそれである。処が変換自身は変換によって変換される群の要素に過ぎない。それ故不変量は変換それ自身以外のものに求められねばならぬ。然るに変換それ自身以外のものとは前に決められてあるように変換される処のものに外ならない。不変量は変換される処のものの内に求めなければならぬ。即ち不変量とは変換される処のものの間に於ける不変な関係であるより外に道がない。それ故不変量は向に変換群に於て見出された「何物か」の内容の一部である。不変量とは変換される処のものと共に、変換群の所謂特殊内容を成り立たせるものと云わなければならぬ。再び主群を借りて之を説明すれば、運動という変換に於て、変換されるものは位置であった。今運動という変換によって変換されない不変的な関係を求めると一定の図形というものが之に相当するであろう。図形は運動(変換)によって位置(変換される処のもの)を変えるが図形(変換に於ける不変量)自身は変らない。運動なる変換群に於ける特殊内容、それは位置と図形の外ではない。さて特殊の内容を此の点まで規定することが出来た以上、幾何学の対象が群乃至群論に還元されるということは一つの見落すことの出来ない条件を加えた上で始めて許される、ということとなる。茲に群が幾何学に対して持つ権利の限界があると考える。之がこの場合の結論である。群が何故に幾何学の本質的な分類を与えることが出来ぬかと云う理由は又この内に含まれている。
この結論と前段の数に関しての結論とは更に次の帰結へ導く、幾何学はそれ自身以外の要素体系の内に属することは出来ない、と。従って吾々は自ら、幾何学という要素体系が在るか無いか、在るとすればどのような特質を持った要素体系であるか、の問題へ逢着する。然るに射影幾何学が存在するということ自身が問題の前半を決定している。従ってただ、幾何学は要素体系としてどういう特徴を有つか、の問題だけが残るのである。幾何学の要素は普通点、線、面などと考えられる。ユークリッドによれば、点は部分のないもの、線は幅のない長さ、等と定義される。この定義は点や線を説明して吾々へそれを容易に表象出来るように教えるものである。之によれば幾何学の要素は経験乃至直観から由来することとなる。併しこのような経験的な乃至は直観的な内容を持つと考えられる要素は、幾何学を一つ
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