ッである。
 だがこの意識は、単に無条件に理解された限りの意識ではなくして、社会の夫々一定の[#「夫々一定の」に傍点]物質的下部構造によって制約された限りの、社会の夫々一定の[#「夫々一定の」に傍点]意識でなくてはならなかった。それは夫々の意識形態[#「意識形態」に傍点]――観念形態[#「観念形態」に傍点]――であると言うべきである(こうした意識形態・観念形態としての社会の上部構造は一般にイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]と呼ばれている。――ここに文化科学[#「文化科学」に傍点]の一応の領域がある)。
 イデオロギーは併し、何も政治や法律に限らない、社会に存在する一切の意識・観念の形態は凡て、イデオロギーとして理解されることによって、初めて相互の連関を統一的に理解されることが出来る。吾々は政治制度や法律に対して、之から一応区別せねばならない処の他群のイデオロギーを持っている。道徳・宗教・科学乃至哲学・芸術等を。之等の所謂文化[#「文化」に傍点]も亦、一つの上部構造として、終局に於て[#「終局に於て」に傍点]社会の下部構造から、物質的な生産諸関係から、決定されたものとして理解されねばならない。言って見れば文化は単に文化としてではなくして、文化形態[#「文化形態」に傍点]として、理解されねばならない、それがイデオロギーである所以なのである。――実際、諸文化は直接に生産機構から決定されるだけでなく、多くは政治乃至法律を通じて、或いは一定の政治思想乃至一定の法律精神を媒介として、その形態を決定されるだろう。そして之は結局、生産関係によってその形態を決定されるということに他ならなかった。――以上が文化科学[#「文化科学」に傍点]、精神科学[#「精神科学」に傍点]乃至哲学プロパーの領域である。
 法律乃至政治でもなく、又所謂文化でもない処の、社会に於ける人間の心理[#「心理」に傍点](狭義の意識)を考えるならば、夫も亦、一つのこのようなイデオロギーの群でなければならない。心理学[#「心理学」に傍点]――(民族心理学・群集心理学・個人心理学等)。

 さて、以上のようなものが、史的唯物論による、社会の階層的構造である。之は社会の言わば静力学[#「静力学」に傍点]的な構造[#「構造」に傍点]に相当するだろう。之を一言で要約すれば、社会の物質的[#「物質的」に傍点]な下部構造の方が、社会の精神的[#「精神的」に傍点]な上部構造の方を、決定[#「決定」に傍点]・規定[#「規定」に傍点]する、ということである。人間の意識が社会の存在を決定するのではなくて、社会の客観的存在が人間の意識を決定する。之は、唯物史観の定説に於ける、唯物論[#「唯物論」に傍点]のモメントを言い表わす。
 社会は併し常に歴史的社会である、社会は常にその静止的組織を組織替え[#「組織替え」に傍点]しつつ生活する処の、言わば一つの生命過程である。だからその静力学は言わばその動力学[#「動力学」に傍点]に相当するものにまで編入し直されなくてはならない。今迄無雑作に静力学的に述べて来た社会の構造[#「構造」に傍点]は、実は決して単なる――静止的関係としての――所謂構造ではなくて、そういう静止的構造が組織替えされて行く処の、過程[#「過程」に傍点]それ自身の構造でなければならなかった。社会の下部構造が社会の上部構造を決定すると言ったことは、決して後者が前者の上に位置[#「位置」に傍点]するということだけではない、それならば無意味な同語反覆に過ぎないだろう。そうではなくて、社会全体が歴史的に運動する[#「歴史的に運動する」に傍点]に当って、その運動がまず下部構造から起こり、之が上部構造の運動を呼び起こす[#「呼び起こす」に傍点]と考えることによって、この運動全体が統一的に分析出来る、ということだったのである。――弁証法的唯物論の一部分としての史的唯物論の定説は、社会を単に物質的本質と見るばかりではなく、この物質的[#「物質的」に傍点]な社会を、歴史的[#「歴史的」に傍点]発展を持つ弁証法的本質として、見ねばならない筈であった。史的唯物論の定説に於ける唯物論のモメントは今や、この弁証法[#「弁証法」に傍点]のモメントに結合されねばならぬ。そして之から吾々は、唯物史観の定説[#「定説」に傍点](体系)の内に、唯物史観の方法[#「方法」に傍点]を織り込んで行かざるを得なくなる。
 史的唯物論は、方法としては、一方に於て弁証法的方法であり、他方に於て唯物論的方法である。今この二つの規定を、史的唯物論に於ける根本観念である処の、決定[#「決定」に傍点]・規定[#「規定」に傍点]の概念に当て嵌めて検討して見よう。
 弁証法的方法としての史的唯物論は、存在を、社会を、固定・静止したものと見ることを徹底的に排斥する。存在は凡て、弁証法的に・歴史的に、運動・変化して止まない。だからその限り、無条件に固定した・超歴史的に永遠な・本質[#「本質」に傍点]はあり得ない、従って又そう言った本質の諸関係である処の、存在の永久の構造[#「構造」に傍点]もあり得ない。弁証法とは凡そこのような機械的見解の正反対なのである(人々は仮に、マルクス主義的方法がこの点で、如何に現象学[#「現象学」に傍点]的方法――特にE・フッセルルの――と正反対であるかを見るのが便宜である)。社会の下部構造が社会の上部構造を決定[#「決定」に傍点]・規定[#「規定」に傍点]するということは、だから、社会のこう言った意味の「本質的」構造[#「構造」に傍点]とは全く別なことなのである。
 処が併し、運動や変化は或る意味で変化しない[#「変化しない」に傍点]ものを規定しなければ運動とも変化ともならない。もしそうでなければ事物を歴史的・弁証法的に見ることは、結局之を歴史主義的に・相対主義的に・見ることに終って了う他はない。今この不変なものは併し、かの無条件に永久な所謂――現象学的――本質とは異って、変化するものと絶縁する代りに、之との統一を、之との弁証法的統一を、失わない処の不変者である。即ちこの本質[#「本質」に傍点]は変化するものを自分の現象諸形態[#「現象諸形態」に傍点]として貫くものでなければならぬ。――唯物史観の弁証法的方法によれば、決定・規定の概念は、歴史的[#「歴史的」に傍点]決定・歴史的[#「歴史的」に傍点]規定の概念である。で、それは実は因果関係[#「因果関係」に傍点]でなくてはならぬ(因果性に就いては前を見よ)。
 社会の下部構造は単に下部にあるもの・上部構造規定者・ではなくて、上部構造の歴史的原因[#「歴史的原因」に傍点]でなければならず、従って上部構造はこれと同じ意味で、下部構造の歴史的結果[#「歴史的結果」に傍点]でなければならぬ。社会のこういう動的な因果関係[#「因果関係」に傍点]の断面が、社会の静止的な構造[#「構造」に傍点]であった。――之がこの方法の弁証法[#「弁証法」に傍点]のモメントに相当する。
 次にこの方法の唯物論[#「唯物論」に傍点]のモメントに沿うて、規定・決定の概念を取り上げる。人々はよく言う、社会はなる程精神的な部分と共に物質的な部分も持っている、だが物質的な部分だけが精神的な部分を決定・規定すると見るのは片手落ちだ、同時に、精神的なものも亦物質的なものを決定・規定するのが事実ではないか、そうすれば、社会のこの二つの部分の決定・規定の関係は、交互関係[#「交互関係」に傍点](Wechselwirkung)又は、相関関係[#「相関関係」に傍点](Korrelation)でなければならぬ、と。成程それは事実[#「事実」に傍点]である、歴史的社会の現象[#「現象」に傍点]はその通りだ。だが社会科学の問題は、こういう現象を如何に統一的に分析するかである、即ちこの現象[#「現象」に傍点]を如何にその本質[#「本質」に傍点]から説明[#「説明」に傍点]するかにある。で、そういう本質を見出すために吾々は、諸現象を区画している処の現象形態[#「形態」に傍点]を見付けねばならぬ。即ち諸現象を形態的に[#「形態的に」に傍点]規定・決定している処の本質を見出さなければならない。処でこうやって見出された限りの本質が、他でもない社会の物質的な下部構造――生産諸関係――だと言うのである。歴史的社会の存在を部分的[#「部分的」に傍点]に取り上げて好いならば、どこでも物質的なものと精神的なものとは交互決定[#「交互決定」に傍点]の関係に置かれているだろう。併し之を全般的[#「全般的」に傍点]に・統一的[#「統一的」に傍点]に・形態的[#「形態的」に傍点]に、取り上げるためには、そういう認識は役立たない。個々の現象[#「個々の現象」に傍点]に就いては交互決定があろう、統一的な現象諸形態[#「現象諸形態」に傍点]に就いては、もはや一方的な[#「一方的な」に傍点]――唯物論的な――決定関係しかが畢極に於ては残されない。そうしないと、社会の歴史的過程を吾々は展開も出来なければ遡源も出来ないだろう、社会の歴史的認識[#「歴史的認識」に傍点]も社会に於ける政治的実践[#「政治的実践」に傍点]も不可能となるのである。イデオロギーが終局に於て[#「終局に於て」に傍点]、社会の下部構造によって規定・決定されると言われる所以である。――之が唯物史観的方法の唯物論[#「唯物論」に傍点]のモメントに相当する。

 さて之だけの準備をした上で吾々は、史的唯物論の核心に多少踏み込むことが出来る。
 史的唯物論によれば社会は歴史的な発展物である、社会は変化する。無論社会の変化は単純な突然変異ではないが、そうかと言って単なる漸次的推移でもない。量的に見て漸次的である推移が、一定量の蓄積によって、質的な変化を、即ち質的な対立[#「対立」に傍点]を、即ち質的飛躍[#「飛躍」に傍点]、を結果する。社会は弁証法的[#「弁証法的」に傍点]発展をなす、それは分裂を通しての統一によって新しい段階に向って進んで行く。夫は矛盾[#「矛盾」に傍点]と矛盾に於ける統一[#「統一」に傍点]との、矛盾的・弁証法的・統一によって運動する。社会の歴史は矛盾をその動力とする。
 だが歴史の動力としてのこの矛盾は、ヘーゲルの考えたように概念の内に横たわるのでもなく、又吾々の意識とか自覚とかの内に横たわるのでもない。夫は正に、社会に於ける歴史的原因であった処の物質的下部構造に、そしてさし当り、生産諸関係の内部に、潜んでいるのである。と言うのは、元来物質的生産諸関係は、物質的な生産力によって成り立った処の一定形態の関係であったが、一定の発展段階にあった処の生産力が、之に対応する一定の生産諸関係として客観化・具体化されると、生産力自身のその後の言わば自然的な成長にも拘らず、生産諸関係の方はそのまま定着されて了うのが自然である。かつて生産力に相応し得た処のそれのための形式としての一定の生産諸関係は、却って、生産力の発達を妨げる処の桎梏という形にまで転化して了う。物質的生産力とこの一定の生産諸関係とは矛盾する事となり、この一定の生産諸関係はその内部に、可能な新しい生産諸関係にまで成長せねばならぬ処の否定的[#「否定的」に傍点]契機を孕んで来なければならない。之が生産諸関係に内在する物質的矛盾なのである。社会と社会的諸存在との一切の歴史的諸発展は、要するに物質的な生産諸関係に内在するこの矛盾の、止揚と再分裂との弁証法的過程に外ならないのである。この過程の叙述がそして、史的唯物論という社会科学的世界の内容に他ならない。
 或いは問うかも知れない、ではその最後の物質的な生産力はどうやって成長するのか。夫は人間の知識や技術を俟つことなくしては発達し得よう筈がないではないか、そうすればそれは一面観念的なものでもなければならないではないか、なぜ特に物質的と考えられねばならないのか、と。この問いに対しては吾々は已に答えておいた、社会に於ける生産力である限り、単なる自然力のように全く観念的な側面を持た
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